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追悼。オオスミタケシのファッション人生の真実

Feb 5, 2021.三浦彰Tokyo, JP
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ファッションデザイナーでラッパーでもあるオオスミタケシ(大澄剛史)が敗血症で1月24日に亡くなっていたことが2月3日に「ミスター・ジェントルマン(MISTERGENTLEMAN)」の公式サイトで公表された。享年47。本人と遺族の意向でごくごく身内だけの葬儀を行なったようだ。そんなこともあって、時節柄新型コロナウイルスによる合併症ではないのかということが囁かれているが、そういうことを現在身内が語りたくないのだし、「亡くなる直前まで病室にて製作を進めていた2021年秋冬コレクションをオオスミへの追悼の意を込めて発表、またコレクション発表の数日後には関係者、友人、ファンの皆さまとのお別れの会を予定しております」と同サイトにあるように、いずれ明らかになるのではないだろうか。死因はともかく、若すぎる死である。

ヒップホップユニットのシャカゾンビ(SHAKKAZOMBIE)としての活動が彼の原点だ。その派生物として2002年にシャカゾンビのメンバーだった井口秀浩とファッションブランド「スワッガー(SWAGGER)」を立ち上げ、2004年に「スワッガー」からソロプロジェクトとして立ち上げたのが「フェノメノン(PHENOMENON)」だった。2010年には東京ファッションウィークでデビューした。このデビューショーのことは私も覚えている。「このショーは見逃しちゃいけませんよ。ちょっと凄いから」と言われて、出掛けて行ったのだが、たしかに花札柄のニットなどなかなか斬新なアイデアのアイテムが登場していた。東京コレクションに新風を巻き起こしたと言えるデビューだった。ストリート色が強いのかと思ったが、意外にもクリーンなテイストで売れそうなコレクションだった。

しかし、ことはそううまくはいかなかった。「スワッガー」を手掛ける有限会社スワッガー、「フェノメノン」を手掛ける株式会社アリソンが2013年1月31日に自己破産が決定した。負債総額は約5億4700万円(帝国データバンク)。今回の死亡記事でも故人の名誉を慮ったのか、この倒産には一切触れられていない。あれだけの人気を誇っていた「スワッガー」や「フェノメノン」のあっ気ない倒産と負債総額の少なさに驚かされたものであった。

しかし、リカバリーも早かった。2012年からセレクトショップ「ザ・コンテンポラリー・フィックス(THE CONTEMPORARY FIX)」のオーナーの吉井雄一とコンビを組んで「ミスター・ジェントルマン」をスタートしていたのだ。吉井雄一は、表参道の人気の食堂である「巴里屋(PARIYA)」の経営者でもあるが、ルイ・ヴィトンジャパンにセレクトショップ「セリュックス(CELUX)」をやらせたり、三陽商会にセレクトショップ「ラブレス(LOVELESS)」をやらせたりと、業界を掻き回した後、2008年に自らセレクトショップ「ザ・コンテンポラリー・フィックス」をオープンした。そして、「フェノメノン」のデビューショーでオオスミタケシを見初めて「ミスター・ジェントルマン」を始動した。その後、マッシュホールディングスに金を出させて表参道に路面直営店をオープンしていた。「ミスター・ジェントルマン」はデザインのアイデアをオオスミが出してそれをマーチャンダイジングするのが吉井というコンビだったようだが、吉井が主導権を握っていたように思う。オオスミにしても、吉井にしても最初からデザイナーを目指していたわけではなく、「ミスター・ジェントルマン」もファッション好きが高じて生まれたブランドであり、そこに妙味があった。オオスミの死で今後どうなっていくのだろうか。

オオスミは病床でも、2021年秋冬コレクションの作業をしていたというが、死期を意識していたのだろうか。その最期のコレクションが3月の東京コレクションで発表されるというから、これは見ものであろう。あの巨体で20年にも満たないファッションデザイナー人生を駆け抜けたオオスミタケシに合掌。

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