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対談連載「あの人は今⁉︎」 FILE1ドン小西 ドン小西が語る コロナ禍をやり過ごす私の生き方(その1)

Jul 9, 2021.三浦彰Tokyo, JP
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「ファッション業界で活躍したあの人は今どこにいるのだろうか?」というテーマで、ファッション業界で今も頑張っている「あの人」を取り上げる連載が今回からスタート。その一人目として「フィッチェ ウオモ(FICCE UOMO)」ブランドで一世を風靡したファッションデザイナードン小西に登場してもらった。昨年古稀(70歳)を迎え、また22年間ファッションチェックコーナーを担当した「とくダネ!」(フジテレビ)が今年3月に終了したが、近況と現在の心境などを尋ねた(聞き手:SEVENTIE TWO編集部員 三浦 彰)。

三浦彰(以下、三浦):ドンさん、お久しぶりです。ここ2年ぐらいお会いしていませんでしたね。本日は対談のためにわざわざお越しいただいてありがとうございます。掲載する「SEVENTIE TWO」はウェブメディアですが、初の連載企画ということでドンさんに来ていただきました。
ドン小西(以下、小西):ほう、光栄だね。
三浦:まずは昔話からいきましょうか。ドンさんのキャリアのスタートになったマンションメーカーの「グラス(GRASS)」では俳優の舘ひろしさんと同期だったんですよね?
小西:勤めていたんじゃなくて、アルバイトだね。舘ひろしは派手なことが好きだから、もう芸能関係ばっかり行くわけ。
三浦:ほう。
小西:そう。芸能事務所をどんどん回ってオーダー取るんだけど、「お前は営業だ」っていうのに いつの間にかデザイナーになっているんだよね。「俺がデザインする」みたいな感じでね。まあそれは それでいいんだけど、僕はだからあいつがとってきた注文を一生懸命型紙引いてやるわけだよ。
三浦:文化服装学院を出て?
小西:僕はもう行きながらやっていたんですよ。
三浦:へえ。
小西:一時はダブってやっていたんですよ。
三浦:ほう。
小西:それも明星大学の電気工学科に通いながら。パターン学びたくて、文化に行っていた。僕はね今の子と違って目的がはっきりしていたの。洋服っていうのにはもうね、ちっちゃい頃から関心があって中学生の頃はね自分の洋服くらいは自分で作れたんですよ。
三浦:ほう。三重県津市の呉服屋さんね。実家がね。
小西:うん。まあ繊維とか布とか、色彩っていうのはよくわかるつもりだったけど、でもパターンが引けない。文化入ったきっかけっていうのは技術を学びたかったの。洋服は作れるんだけれども、その設計図である型紙、ああいうものが引けるようになりたかった。
三浦:なるほど。同級生にはどんな方がいましたか?
小西:誰だっけ?「イッセイ スポーツ」を最初やっていた子?
三浦:津森千里さん?
小西:そう、津森千里とかね。
三浦:え、津森さん同期なの?
小西:他に同期だとヨウジヤマモトにいたあの子?
三浦:ん?
小西:ヨウジヤマモトからワールドへ行った子。パリコレもちょっとやっていたんじゃない? 熊本出身の?
三浦:田山さん?田山淳朗さん?
小西:そう、そのあたりが文化の同期。
三浦:津森さん、田山さんは僕とタメですけど。
小西:僕は大学に行っていたんで、彼らは僕よりかなり年下ですよ。普通の子はファッションデザイナーになりたくて、文化に来てるんだけど僕は違ったわけ。だからパターンが一番得意だった。で、シルエット作ることによって、どれだけそのシルエットで人の心を揺さぶれるか。本当に綺麗な壷を作るみたいな感じだよね。
三浦:なるほど。 ドンさんは凝り性で勉強熱心ですよね。
小西:だからそれだけの目的で文化に行ったの。
三浦:じゃあ文化に通いながら、「グラス」でバイトして、それで明星大学で電気工学。忙しいですね。
小西:本当はね、もっと科学的なことをやりたかったんですよ。
三浦:理系なの?
小西:そう理系。僕は実を言うとそこそこの大学は受けたんです、芝浦工大を。それがなんかさ、試験の時に誤解されたんだよ、カンニングと。
三浦:え?
小西:そういうことから自分の人生が変わっちゃってさ。人生って今思うと面白いもんだよね。
三浦:え、芝浦工大は入試のカンニングでアウトになったの?
小西:受かるだけの能力はあったよ。話すと長くなるけど、ちょっとした誤解があったのよ。芝浦工大にスンナリ入っていたらファッションデザイナーになっていたかどうかわからないな。だからうちの孫がですね、18歳なんですけど、本命は国立を狙っているんですけど、滑り止めで僕の敵討ちとして 芝浦工大を受けるっていうんですよ(笑)。
三浦:理系なの?孫も。
小西:そう。うちの孫はね、宇宙工学をやりたいんだって。
三浦:芝浦工大にあるの?
小西:あるみたい。その孫は女の子だよ。
三浦:女の子なの?
小西:美人ですよ。
三浦:ちょっと待って、一人娘だよね。
小西:一人娘で、そこから孫が二人いるんですよ。
三浦:で、女の子なの?
小西:そうです。そうです。
三浦:今日は、自由が丘からここに来たんですよね?
小西:まあ平たく言うと今日はですね、料理研究をやっていたの。月に2回くらいやっているんですよ。
三浦:自由が丘で?
小西:うん。料理もクリエイションでしょ。今コロナ禍でちょっと聞いたことのあるようなレストランのレトルトとか冷凍とかが売られているでしょ。そういうのを使うのがダメなのね。嫌いなのよ。
三浦:ちょっと待って。自由が丘の料理学校って魚菜学園じゃないの?
小西:いやいや、そうじゃない。マダムがやってらっしゃる。イタリアで長くやっていたおばあちゃんが先生なんだけどさ。でまあ色々と料理研究というか、勉強しながらやっているんですよ。そういう基本をさ、身につけておくのが大事だと僕は思うのね。だからなんかこう、火を通せば出来上がるとかさ、そういうのってあんまり好きじゃないの。やっぱりコロナいうのは、今の日本人には足元を見直すいい機会だと思うな。
三浦:自分をある意味、もう一回見つめ直していきたいということですか?
小西:DIYだよね。料理だって。だからどういう風にすれば美味しくいただけるかとかさ。ま、そういうことって大事だなと思って通っているわけ。それでその後にタクシーを飛ばしてここに来たといわけ。
三浦:ありがとうございます。
小西:タクシー代、高かった(笑)。で、今日はなんだっけ?

7月16日金曜日アップ予定の次回へ続く。

ドン小西プロフィール
1950年10月9日、三重県津市生。文化服装学院卒業後、アパレルメーカー勤務を経て、1981年に小西良幸デザインオフィスを設立。自身のブランド「フィッチェ ウオモ」はそのアヴァンギャルドなスタイルで、ビートたけしを始めとした著名人にもファンが多く、一躍時の人になった。1999年からはフジテレビの情報番組「とくダネ!」にも出演し鋭い切り口のファッションチェックコーナーが人気を博した。現在は名古屋学芸大学などで特別講師を務め三重県の観光大使を務めるなど、多岐にわたって活躍中。芸能プロサムデイ所属。

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