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岸田一郎のちょいワル対談 七転八起!我が編集者人生に悔いなし!!

Aug 30, 2021.三浦彰Tokyo, JP
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PHOTO:SEVENTIE TWO

三浦彰(以下、三浦):今日はわざわざ来ていただいてありがとうございます。2000年代を代表する雑誌編集者の岸田一郎さんも70歳になって、今は何をされているのかなということでインタビューさせていただきます。最近だと岸田さんが話題になったのは、2017年6月に創刊した『GG(ジジ)』が1年も持たずに2018年11月号で休刊。発行元は同年11月に自己破産しています。「え、岸田さんまた雑誌つぶしちゃった」って話題になっていましたが(笑)、もう3年になるんですね。

岸田一郎(以下、岸田):『GG』はアスキーの西和彦さんから声がかかって、かの西さんなので「ウェブでやる?」のかと思いきや「いやいや、やっぱり雑誌がいいんだよ」ということになってね。『週刊文春』かなんかにいろいろ書かれたじゃん。この時代、雑誌は無理とは思ったんだけど、「どうしても雑誌で」ということでスタートした。私も一生懸命やってたんだけど、広告も入らず部数もあんまりいかずで、これ以上迷惑かけるのもなんだから「もう私降りますわ」ってことで降りたのよ。で、副編集長の荻山尚君に譲って、広報発表もしたのよ。新体制で校了まで行った時点で、西さんから電話があって「岸田さん、もう辞めるから」って突然の休刊決定が・・内容が悪かったわけでもないと思うんだけど、私が降りたあたりから、もう西さんも手を引きたかったんじゃないかな? でも支払いがあるじゃない。私も役員報酬もらってないくらいで。それで大騒ぎになって、『文春』にああいう風に書かれたわけよ。

三浦:「あの岸田一郎氏が」って書かれるよね(笑)。

岸田:そう、いつものことだね。でもまあ、皆さんには多大なるご迷惑をかけてしまった。私も社長でもなんでもない雇われの編集長だったんだけどね。

三浦:負債総額は1億3700万円だね。大したことないんじゃない?

岸田:まぁ1年しかやってないしね。そんな無駄遣いというか、大掛かりにはやってないから…。

三浦:月刊だったの?

岸田:そう、月刊。

三浦:ウェブ版も無くなって、その後はもう辞めて、岸田さんは…?

岸田:もともと65で引退しようって決めてたからね。

三浦:岸田さん何年生まれだっけ?

岸田:1951年4月15日。もう70だよ。

三浦:ジャスト70になったんだ。おめでとうございます。65で辞める予定だったのに(笑)。

岸田:うん、とはいえ色々頼まれるんでね。今でも声かかる。「あの夢をもう一度」って、「月刊誌やりましょうよ」って来るのよね。「基本的にはもう出版はダメですよ!せめてウェブなら・・」って言っても、やっぱり欲しいんだろうね、リアルな紙の本というのが。

三浦:そういう考えはわからないでもないけどね。

岸田:そんな話をしてると、隔月刊、季刊でもいいからみたいな話になるんだけど、基本的にこの出版不況で無理でしょって、お断りはしてるんだけどね。

三浦:話代わりますけど、岸田さん結婚してるの?

岸田:うん、もちろん。みんないろいろ言うけどちゃんとした家庭だよ(笑)。

三浦:子供がいて、孫がいて・・・?

岸田:いや、子供はいなくてカミさんとは仲良し(笑)。

三浦:出身、関西だよね

岸田:そう、大阪。

三浦:あんまり関西人っぽくないよね。関西弁も出ないし。

岸田:(関西弁で)いやいや、やらし〜い話とお金の話は関西弁になりまんねん(笑)。

三浦:あはは。編集者は引退したわけではない?

岸田:基本的にはセミ・リタイアかな。編集者って出版社と絡むわけだから、そういう意味では出版社自体がもう立ち行かない状況な訳で。それに私って『LEON』、『LEON』って言われるけど初めて編集長になったのは世界文化社の『Begin』の創刊から。あれが36歳か37歳で。だからそれからは世界文化社のメンズはほぼ私が作った。だから言ってみれば毎回創刊の編集長なのよ。なので、編集長やる事になると、やっぱり「新しくメディアを作る」ってことになる。確かに、いつも新しい雑誌を作ってきて、それの成功を期待される。なので今は出版社から頼まれて雑誌を創刊するってのがありえない時代だから、そう言う意味での編集者(長)としては、もうやってない。まぁ細かくは、原稿頼まれたりそう言うのはやってるけどね。

三浦:原稿書きもやるの? 最近も書いてるの?

岸田:頼まれたものは、面白ければね。今はメディアって言ったらYouTubeをやってるかな。あれが(登録者が)1万9000人くらい。『GG』が終わった後、某代理店から「岸田さん、何もしないわけにはいかないでしょ、何かやりましょうよ」って言われてスタートしたんだけどね。これが適当にうまくいっていて、週2本、周囲の友人たちに撮影頼んで、自分で編集してアップしてる。

三浦:なんて言うチャンネル?

岸田:『岸田チャンネル』。自身のライフスタイルをリアルに動画にしてるんだけど、面白いのが、ファッションとかその手のラグジュアリー話が人気ないんだよね。時代を反映してるのかな。車の動画がいちばん人気があって、20万視聴を超えたり。自分で車を3台持ってるので、それのメンテナンスだったり改造だったり。「たまにはファッションやってください」とか「岸田が持ってる100アイテムやってください」とかも言われるけど・・。

三浦:車何乗ってるの?

岸田:空冷のポルシェと、スマートのブラバスと、VWのキャンピングカー。

三浦:岸田さんは時計のコレクションもスゴイんだよね。時計ブームも岸田さんですもんね。

岸田:時計がまだブームじゃない頃、「君は吊り革バトルで勝てるか」って特集で、新しくラグジュアリージャンルの土俵を無理やり作って定着させたりしたね。今も一応発信元としてYouTubeでも、時計を題材にした番組もやったりしていて色々お話なんかもいただくね。

三浦:1万9000人だっけ? すごいよね。ファンがいるんだよやっぱり。

岸田:YouTubeってアナリティクスがしっかりしていて、50歳あたりが視聴者の中心かな。業界でも、こんな高齢者に人気のチャンネルは珍しいとか(笑)。

三浦:だから岸田さんがやってた頃に、28とかだった『LEON』の読者が今動画を見てるんじゃない。『LEON』ってやっぱり絶大な存在だからね。

岸田:『LEON』の時なんて、絶頂期はページも厚くなるし編集費もかなりかけていた。当時1冊に2000万円とか3000万円かけて作ってたかな、編集費だけで。でそれをひと月で稼ぎ出さなきゃいけないわけだよ。

三浦:広告だけで2億円はいくね。簡単に。

岸田:最高1号で5億円いったことある。それを毎月稼ぎ出す責務が私の肩にかかってくるわけよ。これしんどいよ〜。あの頃、何部売れてたかっていえば、当時がピークで取次搬入が多くて10万部。完売したとして、それの85%くらいでしょ。で、定期購読が1万人いないわけよ。それ考えると、『岸田チャンネル』の登録者だけで1万9000人。登録しないで見てる人もいっぱいいるから、動画1本で視聴数20万超える時もある。雑誌にかかる費用2000万~3000万円かけないでやってるんだから、そりゃ本は売れないわ。

三浦:今はもうYouTubeですよ。動画配信の時代になっちゃったから。岸田さんも他の人のチャンネル見てるんですか?

岸田:割と見てる。

三浦:雑誌とかは見ずに?

岸田:雑誌は見ないねぇ・・・。

三浦:今はなんの動画を見るんですか? 趣味系ですか?

岸田:うん、旅行とかかな。

三浦:YouTubeってほんとに何でもあるから、見てるとあっという間に深夜になっちゃう。

岸田:まぁ、『岸田チャンネル』は、かつて雑誌でカバーしていた範囲をYouTubeでやっているわけではなくて、動画見てもらえればわかるけど、私の生活周りでやってるんで、別に取材も何もしてないし、朝起きて今日何やるか、みたいなのを撮ってるだけ。手間もそれほどかけてないし、ストレスもない。雑誌の編集長は大変。周りから見てると楽しそうかもしれないけど、実は本当に大変。

三浦:ところで岸田人脈も活躍してるよね? 戸賀敬城氏を始め、『FORZA STYLE』の干場義雅氏や『OCEANS』の元編集長の太田祐二氏なんかがそうですね。

岸田:みんな立派に育ってくれて嬉しいよ。

三浦:まぁ、大したもんですよ、人脈も作ったし。

岸田:やっぱり『LEON』が成功したとか『Begin』が成功したとかそういう実績があると、「それ由来の人材」(笑)ということで期待されるんだろうね。チャンスをいただけるだけありがたいよね。

三浦:世界文化社はちゃんと辞めたの?

岸田:ちゃんと辞めたよ、ちゃんとね。主婦と生活社もちゃんと辞めましたよ! 主婦と生活社から話すと、絶頂期に辞表を出したんだけど。そうすると、辞めて対抗誌を作るってことが、もう見え見えなんだよね。会社としてはそれを潰さなきゃいけないから、なんか汚点を見つけてくるわけ。だから自主退社じゃなくて解雇なんだ、っていうそれのせめぎ合いだったわけ。でも、主婦と生活社には大いに感謝してる。自由にやらさせてくれたおかげで『LEON』が成功した。だって、出版社としては当たり前のことだけど、編集長に全権を任せてくれた。例えば、まだ『LEON』を創刊する前、『LEON』の商標が取れた頃、社長のところへ行って「もしこれが成功したら、横並びで女性誌を作りたい。『NIKITA』の商標が空席なので今からとっておきたいんです」ってお願いしたら「わかった」ってOKが出た。キップのいい会社ですよ。

三浦:『LEON』なんてよく取れたよね。もう誰かのものだったでしょ。

岸田:うん、実は既に取られてた。アルバイト含めて編集部全員で新しい誌名を考えさせて、副編集長あたりに整理させて、残ったのを見てたら『LEON』も入ってて、無理だろうなと思いながら法務に調べさせたらOKがでた。でもしばらくしたら法務が「すんません間違ってました。他社が持ってます」って言ってきて、どこが持ってるか調べてもらったら三栄書房だった。何かの臨時増刊で『LEON』って名前で出したけどうまく行かなくてそのまま放置してる状態だったんだろうね。出版社の慣習でいくと、一回ミソがついた誌名は使いたがらない。なので「これは買いに入りましょう」って社長にお願いした。

三浦:三栄書房が持ってるって話は表に出てたんですか?

岸田:いや、そんな話は表には出ないでしょ。特許庁で調べてもらったら三栄が該当して判明した。ミソがついたとはいえ、既に『LEON』という臨時増刊が世に出たわけで、不特定多数の読者の記憶にあるのかどうかが心配だった。なのですぐ周囲の業界人に片っ端から聞いてみたら、誰も知らなかった。そんなことで、これはゼロからのスタートってことでいいかなと思って買うことにした。

三浦:当時のメンズ雑誌業界は、落語で言う「野ざらし」状態で『LEON』みたいな雑誌を出せば売れるって言って、大変なことになっちゃったよね。その時でた雑誌はもうほとんど無くなっちゃったけど『LEON』は頑張ってるよね。

岸田:頑張ってるね。内容は違っても表紙から連載まで構造はずっと同じ。ここまできちゃうとリニューアル大変だろうね。『LEON』のあとに作った『ZINO(ジーノ)』(2007年3月24日創刊)っていう雑誌で痛い思いをしていて、つくづく自分は社長って器じゃないなと思った。『ZINO』が終わって、何をしようかって時に、みんながウェブだって言うから、『Luxury TV』っていうウェブサイトを始めた。みんなは「会社を起こしましょう」って言ってたんだけど、私が「もう社長は勘弁」って断ったら田上美幸が「私が社長やるから『Luxury TV』やりましょう」って言ってくれて、立ち上げた。

三浦:今の趣味って何?

岸田:車もバイクも乗るかな。若い頃はレースに出たりもしていた。肩のここに縫い目あるでしょ。これ30くらいの時にバイクのレースで転けた時の手術痕。サーフィンとかもやるけど、YouTubeでも身近なところで車とかバイクの話がウケる。自分で言うのもなんだけど、内容的にもしっかりしてるからそれでファンがついたりするんだろうね。もちろん時計とかファッション関連でのファンもいると思うけど。

三浦:ジローラモとはまだ付き合ってるの?

岸田:うん、たまに電話かかってくるね。うちのカミさんもジローのカミさんと仲良しで、一緒に海外行ったり料理教室行ったりしている。

三浦:日本人?

岸田:そう、日本人。

三浦:やっぱり、表紙にジローラモ使ったのが大きかったよね。

岸田:成功の立役者の一人だった。ただ、創刊の際の見本誌の段階からジローラモを起用した。表紙が、裸で白いトランクス履いて靴下と革靴だけのジローラモが「何もなくても生きていける」ってタイトルでね。表紙を捲ると彼がシガー咥えてるんだけど。それを代理店の媒体説明会で配布して説明していたんだけど、かの電通での最後の質問コーナーで、ある社員が「編集長、それで創刊号のモデルはどなたにお願いするんですか?」って聞かれて。「いやいや、コイツですよ」って言ったら、「え〜、これ誰なんですか?」って言われたくらい、当時の彼の知名度はそんなもんだった。

三浦:そうだっけ。『LEON』の創刊いつでしたっけ?

岸田:2001年。当時彼はNHKのイタリア語講座の講師だった。おかしいのは、創刊して定着し始めた頃、在日のイタリア人に「なんでコンナやつ選んだんだ?」ってよく言われたこと。

三浦:それはなんで選んだの?

岸田:まずは中堅の出版社だったから予算がなかった(笑)。もう一つは、製作的に私独自の展開をしていく上で、裸で白いパンツ履いて、なんて例えばキムタクに頼んだってやってくれない。同時に、モデルに限らず、カメラマン・ライター・スタイリストなども既に著名なスタッフに頼めば「絶対売れる雑誌が作れるはず」ってやり方の編集長も多いんだろうけど、大出版社ならその戦略でいい。主婦生って中堅出版でそこまでの予算がない。創刊からオリジナルでいくしかない。なので無名新人スタッフを大いに使った。なぜかというと全員私の言うことを聞いてくれる。何か指示しても「これは俺のテイストじゃないなぁ」なんて言われちゃったらたまんないもん。だから、表紙もウィット込めた色んなのやったけど、全部言うこと聞いてくれそうなモデルとしてジローラモを選んだ。あとは、いわゆるファッションモデル的な2枚目じゃなかったから。読者が、頑張れば、自分もあれくらいになれそう、っていうリアリティが大切だった。そんな戦略に彼はシッカリ答えてくれたからこそ成功した。『LEON』が売れ始めた当時、イタリアブランドの社長とか大使館系の人によく言われた、「背も低いし、特別ハンサムなわけでもないのになんでアイツなんだ」って。

三浦:そんなもんですか(笑)。

岸田:いやいや、無名の日本の俳優がアメリカで売れてたりするじゃない。それと同じ。そんなイタリア人が最後に言うのは「だってあいつはナポリだぞ」(笑)。

三浦:まぁ、売れなかったら変えようくらいの話はあったんだ?

岸田:もちろんそこはビジネスだから、どこでもそうでしょう。

三浦:主婦と生活社って芸能系も強いよね? 週刊女性とか。あれもよくやってるね。売れてるのかな?

岸田:私がなんであそこ辞めたかって言うと、『LEON』で年間23億円くらい売り上げるわけだけど、売れないムックやらなんやらにかなりの部分が赤字補填に回っていくわけなのよ。それで役員になれって言われたんだけど、「いや、役員になると業務増えるし、現場に居たいから」って断った。そんなことがあって、自分で独立してやった方がいいと思ったから辞めたんだけど、見事に失敗した。甘かったね。『LEON』終わってから『ZINO』を創刊したけど、私は編集長じゃなくて社長だったから資金繰りが大変で。金策ばっかり回ってて、コンテンツなんかを作ってる時間がなかった。コンセプトを反映する表紙が「このおっさんがまさか!」っていう変身をやってたじゃん。それが私の狙いだったんだけど、編集力も交渉力もないから継続できなくて、ボロボロになっていった。

三浦:それは大変だったね。『ZINO』も結構広告ついた? バイアグラの特集とかやったでしょ? あれがラグジュアリー系に不評で・・・って聞いたよ。

岸田:それを言うなら『LEON』も同じ。「ちょいワルオヤジ」っていうキャッチが良かった、とかいわれるけど。流行語大賞にノミネートされたのは最終的に「ちょいモテオヤジ」だったよ。流行語大賞委員会が「ワル」ってワードは当時、権威ある賞には相応しくないということだった。そんな時代だった。だから当然ラグジュアリーブランドにとっても、「なに、うちの服を”オヤジ”に着せる? ”ワル”? 冗談じゃない」って。同じことだよね。みんな『LEON』は創刊から順風満帆に売れたように思われているけど、結果が「勝てば官軍」だっただけ。

三浦:やっぱり70にもなると感慨も一入なの?

岸田:表ズラふざけた雑誌で、売れて広告が入っていいね、とか思われていたんだろうけど、作ってる舞台裏は結構真剣だった。初めて表紙に「モテるオヤジの作り方」なんて言葉を堂々と入れることを決定するにはかなりの覚悟がいった。責任者は編集長の私。あの日のことは今でも思い出すと震えがくるね。そんな昔と比べると、今は本当にストレスがなくて、イイ(笑)。

三浦:表情も穏やかになったよね。健康状態も至って健康なの?

岸田:いや、ちょっと糖尿気味ですね。酒はやめたけど。もう10年以上飲んでない。風呂上がりのビールだけ飲んでたけど、それも5年くらい飲んでない。

三浦:よくやめられましたね。

岸田:これは糖尿の疑いありって言われて、友人の専門医に診てもらったら「軽度だけどこれは糖尿だよ。酒やめろ!」って言われて。それでもうピッタリやめて。

三浦:トレードマークの葉巻は? やめたの?

岸田:それはやってるかな。

三浦:葉巻はいいの? 煙吸わなきゃ良いってこと?

岸田:葉巻は肺に入れないから良くはないけどタバコよりは・・(笑)

三浦:みんなそう言うけどそんなことはないでしょ(笑)。で、車運転して、バイク乗って、サーフィンして。

岸田:あとはキャンピングカーでいろんなところ行ったり。

三浦:どこいくの?

岸田:温泉とか、カミさんと2人で。結構仲良しだから。同業で、昔婦人生活社ってあったじゃない。『セサミ』の編集部だったのよ。

三浦:どこで知り合ったの?

岸田:うちの義理の兄が婦人生活社の役員かなんかで、バイトか何かで会ったんだよね。

三浦:今お住まいはどちらなの?

岸田:一応、港区だよ。

三浦:あ、今日も自宅から来たんだね。しかし、何度も言うけどこの20年間、いや30年間をとっても、『LEON』のコンセプトのユニークさ、オリジナリティというのは唯一無二と言っていい存在。光文社の元社長の故並河良社長は編集の神様みたいな人物だったけど、インタビューしたときに、あの『LEON』はすごいって褒めてたからなあ。今のメンズ雑誌は『LEON』の野ざらし(落語の演目でイイ目にあいたくて成功者のマネをして笑われる間抜けな男の話)であるって言ってましたよ。

岸田:ただ、『LEON』始めた頃から出版不況は始まってたからね。

三浦:だから、すごかったんじゃないの? みんな飛びついたんでしょ。「『ちょいワル』のコンセプトでいいんだ」って。

岸田:メディアって、あの時代は記者クラブ制ってのと同じで、例えば「グッチから新作が出ました」とかの情報は発表会を通じて全部メディアに来たわけ。で、読者はなんらかのメディアを買わないとそれがわからなかった。もちろんニュースだけじゃなくて、創意工夫してモデルに着せたりいろいろやってたんだけども、そんな雑誌が多い中で、「右から左の情報だけだと本は売れない。そこに割って入るためには同じことやっててもしょうがない」、ファッション好きのマニアだけじゃなく一般のおっさんも取り込むために「ちょいワルオヤジ」みたいな提案ものをやってったわけ。「あのブランドがエレガント、あのブランドがトレンド」っていう漠然とした紹介が多かった中、それよりも人がブランド物を買うのは「他人と差別化したい」とか、「モテたい」とかが本音の動機。なので「モテる服はコレ」とか「モテる男になるためにはコレだよ」って言うコンセプトを打ち立てた。そこにブランドを組み合わせていったということなんだよ。

三浦:結局、赤文字なんかも全部「モテ」なんだよ。でも「モテたいならこれ着ろ」なんてカッコ悪くて言えないじゃない。それをはっきり言っちゃったんだよね。当時はさ、40や50くらいのおじさんはあんまりブランドなんか買わないから。

岸田:そう。コンセプトは「モテを諦めていた」金持ちおじさん連中を鼓舞すること。いい年こいて腹も出てきて頭も薄くなってきてるけど、「いやいやイタリア見なさい!こんなおっさんがいっぱいモテてるんです」って。「そのためには車はこれです、服はこうです、時計はこれです」って。

三浦:でも実は若い人が買ってたんだよね。狙いは40代、50代のオヤジだったけど。28くらいの小僧で当時買ってた人たちが、今『岸田チャンネル』を見てるんですね。「リモワ」の紹介とかも面白いですよね。見てて、なるほどなって思いますもん。

岸田:でしょ! 新製品をモデルに着せて、カメラマンに撮らせて、適当なコメントをつけてウェブで紹介しても、今やもう通用しないのよ。これまでの雑誌が読者を成長させてしまった。「嘘でしょ?」って。だからもっとリアルな話をしていかないと刺さらない。なので『岸田チャンネル』も、私の身の回りのリアルな話だけにしてる。

三浦:もうちょっと伸びそうですけどね。

岸田:さっき言ったように、なにぶん視聴者の年齢層が高い(笑)。「動画見てますよ」って言われて「チャンネル登録してくれてますか」って聞くと、やり方がわからないって人が多いんだよね(笑)。

三浦:私もチャンネル登録面倒くさくて嫌になっちゃう(笑)。

岸田:紙かウェブかって話以上に、コンテンツも今までの紙でやってた物をそのままウェブでやっても通用しないっていう感覚があるなあ。

三浦:感じますか?

岸田:ネットか紙か? って問題以前に、例えば、今まで通勤で文庫本一生懸命読んでましたって読者がいてね、その人たちが同じ小説ををデジタル・デバイスで読んでくれるかって言うと、読者なんて気ままなもので、「今はインスタが面白くてコメントとか入れてたり・・・」とか言われちゃう。だから雑誌のコンテンツがデバイスで読めるって言っても、読んでもらえるどうかはわからない。あとは「嘘くさい」って言われるようになった。「グッチのこれが良い」って言っても「ニュースリリースの丸写しじゃないのか」って。

三浦:経済学部を卒業されて出版社に新卒で入ったんですか?

岸田:いや、あの頃から原稿はいっぱい書いててライターみたいなことやってたから、「男性誌出すから来い」って声がかかって、そのまま世界文化社入った。

三浦:アルバイトでライターをしていたんですか?

岸田:そうそう。

三浦:え、じゃあ結婚って結構早いんだ?

岸田:うん、29とかそんなもんかな。当時そのくらいでしょ。

三浦:『岸田チャンネル』ではキシダイズムが映像でもすごく出てますよね。それをもっと活性化させたりとかはしないんですか?

岸田:うーん、させてもいいけど、あんまり大変な仕事はしたくなくて。

三浦:そんなに手間暇かからなそうじゃないですか?

岸田:新しいメディアとして出版社もYouTubeに参入しているけど、問題は費用対効果だと思う。出演者、カメラマン、動画編集とかスタッフを雇ってギャラ払って展開してもそんなに儲かるものじゃない。YouTubeやったからって成功するわけじゃない。『岸田チャンネル』も金かけて取材に行ったりしない。カメラマンにプロ並みの映像撮ってもらうのも良いんだけど、その費用をどうやって取り返すかっていう・・・。

三浦:しかしコロナはどうなるのかなあ。

岸田:出版不況のみならず、ね。ラグジュアリーはどうするのかね。

三浦:ラグジュアリーには響かないと思うよ。

岸田:元々はね、「エルメス」の5万円のTシャツを普段使いできるような富裕層が顧客のラグジュアリー・ブランドだったわけで、それを下々がローンまでして欲しがったからああいう売り上げになったわけ。あくまで富裕層に向けて無くなることは絶対ないと思うけど、一般人のニーズはこれまでとは違ってくる。

三浦:LVとか「グッチ」とか「シャネル」とか全世界で1兆円売ってるのよ。1兆円も売り上げててどこがラグジュアリーなんだって思うけどね(笑)。

岸田:我々良い時代を生きたなぁと思う。民族が発展する過程で一時期「物欲時代」ってのがあるのね。私は小学生の頃自転車買ってもらって、「俺のは10段変速だけどお前のは3段だな」なんて言ってて、要はお金を出して物を買って他人と差別化をすることで悦に入る、って言うのが高度成長期の物欲文化の始まりで、その延長線が「これプラダだもんね」ってところに繋がってくる。車なんかも「あぁ国産車乗ってるんだ。俺はベンツだけどね」って言う。そういう時代をメディアも一緒になって引っ張ってきたんだね。長く続いた「物欲時代」もここにきて「物で差別化する」ことに読者、消費者がだんだんアホらしくなってきたんだろうね。バーキンを持って満員電車に乗ってる自分が恥ずかしくなってきた。背伸びしてブランド物を購入するという行為自体がバカらしくなってしまう。要は、民度が成熟したんだよ。ラグジュアリー・ブランドがなくなるわけじゃない。分相応をわきまえた消費になってきた。

三浦:やっぱりリーマン・ショックが分岐点としてデカかったと思う。そこから意識も変わったね。次はアフリカとかインドとかってことかな。

岸田:そうそう。民族の成長過程で必ず訪れる「物欲の洗礼時代」、日本はそれを通過したっていうこと。次の発展途上国でラグジュアリーが盛り上がる。ブランドずくめな東南アジアのおしゃれ観光客見てると、いつかきた道だと思うよね。

三浦:今もし予算が潤沢にあって、好きなことなんでもできるとしたら何か作ってみたい雑誌とかあったりしますか?

岸田:雑誌は無理だろうね。ウェブで今までの雑誌とは違ってもっとリアルに、ファッションでももっと本当のことを言うメディアなのかな。雑誌と同じコンテンツを発信手段をネットにしただけじゃどうにもならない。受け手の願望の対象が変わってきた。うちなんかもキャンピングカー買ったのはそう言うことなんだけど、セミリタイアするぞって言ったら車に全く興味のないカミさんが「これ買って温泉とか行こうよ」ってカタログ見せてきて。本当はキャンプなんて興味なかったんだけど、半分金出してくれたもん。なんだか価値観がなんか変わってきた。

三浦:車中泊するわけ?

岸田:キャンプ場で泊まったり、泊まりたい旅館、ホテルがあったらそこに泊まったり。「ご夕食のご用意があります、7時までにいらっしゃってください」とかウザイんだよね。なんとなく価値観が変わってきて、「他人との差別化」は人の常。とはいえその手段が物だけ、というのが古く見えちゃう。この間、かつての読者の田舎のボンボンに「今、◯◯の時計して、◯◯乗ってたら田舎もんですよねぇ!」って言われて、もうそこまで言われる時代なのかよって(笑)。

三浦:今調べたら、『LEON』は創刊が2001年なんですね。

岸田:そう、9.11があった時。創刊号の校了の時にニュースが入ってきて、「大丈夫かよ、こんな時に創刊して」って。その月の24日に創刊だったから。

三浦:お酒も飲まれないし、もう銀座とかには出歩かないですか?

岸田:そんなことはないよ。相変わらず銀座好きな友人なんかも多くて、たまに行ってるかな。そうそう、今ピアノもやってるかなぁ。

三浦:なに弾くの?

岸田:クラシック。この間銀座のクラブで「本当に弾けるんですか?猫ふんじゃったはダメですよ」って言われて、ピアニストが休憩の合間「弾いていいって」言われて、喝采もらっちゃた(笑)

三浦:クラシックってどんなの? チェルニーとか?

岸田:バッハの『G線上のアリア』とか。2、3曲は暗譜で弾けるかな。私じゃなくて、あくまで企画的に言えば、例えば初めてデートで食事が終わって、ときに女性は化粧室に行くよね。帰ってきたとき、待っている間ウエイティングバーにあったピアノをちょっくら弾いていたりしたら、めちゃモテまっせ、ということかな。フェラーリ乗ってるより・・。「高そうなもの」を持っているにこしたことはない。それに加えて、いい歳こいているからこそ、プラス何か形而上学的な魅力が備わっていることが大切。民族の成長の観点から言えば、かようにモテの定義も変わってきたんだよ(笑)。

三浦:でもジャズの方がいいんじゃない?

岸田:いや私がビリー・ジョエル弾いても当たり前。それよりギャップあった方がいい。「遊び人に見えて、え!クラシック・・?」。YouTubeで「空港ピアノ」のパロディやったりもしてるよ(笑)

三浦:そのあたりはあんまり変わってないですね。相変わらず「ちょいワル」ですよ(笑)。

 

プロフィール:
岸田一郎。1951年4月15日生まれ、70歳。1974年日本大学経済学部卒業後、フリーライターとして活動。その後1979年世界文化社に入社し、編集長として『Begin』『時計Begin』などを創刊。2000年に主婦と生活社に転職し、2001年9月に『LEON』創刊、2004年『NIKITA』創刊。2006年主婦と生活社を退社し、独立後『@ZINO』をオープンし、2007年雑誌『ZINO』創刊。2008年4月に休刊。2014年『MADURO』、『GG』を立ち上げるが、前者は不定期刊行に、後者は休刊。現在はYouTube『岸田チャンネル』を展開中。

YouTube『岸田チャンネル』はこちら。
https://www.youtube.com/c/kishidaichiro

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