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Japan|賢三の心に吹き荒れた雪嵐の轟音を聞け

Oct 9, 2020.三浦彰Tokyo, JP
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2018年にパレスホテルで行われた「夢の回想録 高田賢三自伝」(日本経済新聞出版社)出版記念パーティーにて。右側筆者。

タカダケンゾウは二度死んだ。一度目は「ケンゾー(KENZO)」のデザイナーとして1999年に。二度目は兵庫県姫路市に1939年2月27日に生まれた高田賢三としてパリで新型コロナウイルス の合併症で10月4日に死んだ。

私は、今年9月7日まで勤務したファッション週刊紙「WWDジャパン」で「ファッション業界人物列伝」という連載を2015年から今年まで行った。29人のファッション業界人をインタビューして、その人生を振り返ってもらい、そのターニングポイントを語ってもらった。その9人目が高田賢三だった。インタビューしたのは2015年で掲載は2016年。もの静かで若々しい初老の人物だった。

当然インタビューの核心は、1999年の一度目の死、つまりLVMHに「ケンゾー」ブランドを売却した当時のことだった。「経営が行き詰まっていて、やむを得なかった」という通り一遍の答えが返って来たが、実はそうではなくて、「かなり後悔している」という本音を後に他のインタビューで話している。しかし、創業デザイナーがクリエイティビティを失くして、ブランドの経営に支障を来たすまでになってしまうケースはよくあり、これを大手資本が「救済」するというのは、LVMHによるジバンシィ社買収という前例(1995年)があった。ジバンシィ社もケンゾー社も、デザイナーブランドからラグジュアリーブランドへ転換することで、今なお生き延びているのは周知の通りである。ファッションビジネスとしては、創業デザイナーの引退・売却は大成功していると言える。しかし、自分が創業したブランドを他人に渡してしまうというのは、これは渡した本人しか分からない寂しさというのがあるのだろう。

2015年の賢三氏のインタビューで、「売却金はどうされたのですか?」という問いに対する答えははっきり覚えている。その時は書かなかったがもう亡くなったことだし、いいだろう。

賢三は「ああ、すぐになくなっちゃいました」とこともなげに答えた。本当にそうなのかどうかは知らないが、インタビューをしていて感じたのだが、相当なギャンブラーであるのは間違いなかった。LVMHから受け取ったブランド売却金は30億〜50億円と言われていたから、「使っちゃった」というのが事実なら筋金入りのギャンブラーである。

そして、酒もかなり飲んだ。2008年3月10日未明には、飲酒運転でパリ市警に摘発されたというニュースが全世界を駆けめぐった。注目すべきはパリ中心部を「逆走」したという罪状。ここまで酒を飲むのだろうか。ギャンブルにしても酒にしても孤独な精神がそうさせるのだろうか。

今回の追悼の言葉を眺めていたが、LVMHのベルナール・アルノーCEO、LVMHファッショングループのシドニー・トレダノCEO、ラルフ・トレダノ=フランスオートクチュール・プレタポルテ連合会会長など、当然のことながら形式的で無難な追悼の言葉ばかり。他に「人間賢三」の実像を知る人々は沢山いるはずだが、そういう人々の声を聞いてみたいものだと思うが。

賢三はパリに住み、ファッション業界においてパリで最も成功した日本人であることに異論はないが、その精神の奥底にあるものは、きわめて日本的な精神だったのではないかと推察している。

実際に見聞きしたわけではないが、自宅にごく親しい友人を招いたホームパーティーの最後はカラオケ大会で、賢三はシャンソンでも歌うのかと思いきや、パンツ一丁になって、なんと『網走番外地』を高倉健ばりに歌うのが常だったという。賢三にとってパリは、極寒の網走刑務所みたいなものだったのだろうか。賢三の心に吹き荒れた雪嵐の轟音が聞こえてくる。合掌。

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