4月27日の繊研新聞に、呉服製造卸・小売りの新装大橋が主力ブランドである「撫松庵(ぶしょうあん)」を合繊生地卸の高谷(本社京都市)に、きものリサイクル事業の「ながもち屋」を染呉服製造卸の石勘(京都市)に5月1日付で売却するという記事が載っていた。新装大橋はブランド洋服のリユース会社「ヴィンテージクローズ0324」事業は継続し、不動産管理会社になるという。
恐らく60歳以下の読者には、全く関心がない記事ではないか。この「撫松庵」という1980年代に一世を風靡したブランドは、合繊で作ったトータルコーディネートの既製着物として着物業界に新風を巻き起こした。その他にもデニムきものやファッションゆかたなどの提案も大ヒットした。現在の大橋英士会長がたいへんなアイデアマンで、次々に新作を大会場においてショー形式で発表して話題になった。ファッション業界では、代々木のテントなどで150ほどのいわゆるDCブランドが毎シーズンショーを行っていた時代だから、この「撫松庵」のきものを「DCきもの」と呼ぶジャーナリストもいた。縮小が止まらない着物市場の救世主とも呼ばれたものだ。新米の記者だった私も、大橋英士社長(当時)はじめ、そのデザイナーにインタビューしたものである。
しかしライフスタイルの変化に根差した市場縮小というものはそう簡単に止まらないものである。
興味があって着物市場の規模を調べてみた。きものと宝飾社の調べ(2019年4月)では、その市場規模のピークは1兆8000億円で、1989年には約1兆5000億円だったが、2018年は約3000億円で、ピーク時の6分の1であり、1989年の5分の1であると推定している。30年で5分の1になってしまったということだ。ここ5年ほどは3000億円付近で横バイの状況だが、少子高齢化もあり、これが拡大することはまずなさそうだ。
このグラフを詳細に眺めると、1987年から1990年にかけて一度だけグラフが上昇する部分があるのだが、どうもこれが「撫松庵」の市場へのインパクトであったように思われる。京都の合繊生地卸に売られて「撫松庵」が復活することはまずないだろう。「兵(つわもの)どもが夢の跡」ということだろうか。コロナ禍での販売不振が今回の決断をさせたのだろうが、取引先に迷惑をかけずに呉服事業を整理して、不動産管理会社及び「ヴィンテージクローズ0324」の事業を行うとのこと、立派な幕引きだと思う。