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Japan|「アンダーアーマー」からバスケ選手ジョエル・エンビード初のシグネチャーシューズ登場

Sep 7, 2020.鍋倉萌子Tokyo, JP
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「アンダーアーマー(UNDER ARMOUR)」の日本総代理店であるドーム社は、 NBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズに所属するジョエル・エンビード(Joel Embiid)初のシグネチャーシューズ「UA EMBIID ONE」(1万2,500円+税)を、9月19日に「アンダーアーマー」直営店と公式サイトで発売する。

「UA EMBIID ONE」の発売に向けて、9月3日には「ジョエル・エンビードSTORY前編」を公開。「アンダーアーマー」とエンビードは、2018年10月に5年契約を締結。そのときに、エンビードは自身の生い立ちや「アンダーアーマー」と契約した理由を語っている。

「ジョエル・エンビードSTORY前編」

16歳の時、僕は痩せっぽちでぶかぶかの半袖シャツを着ており、ファッションセンスもゼロ。母親から早く帰って宿題をするよう言われていたので、毎日バレーボールの練習からダッシュで帰宅していました。ある日を境に、僕の人生は大きく変わりました。背が高かったこともあり、あるコーチに声をかけられ、NBAのキャンプに招待されたのです。当時、バスケットボールをちゃんとプレーしたことはありませんでした。母親が買い物に行っている間に家を抜け出して、公園で少し遊ぶ程度。キャンプは次の日から始まると告げられました。まさに一生に一度のチャンス。自分を信じてこのキャンプに参加すれば、必ずNBAに行けると本気で信じていました。これが運命だと。なんてね、冗談です。自信なんて1ミリもありませんでした。見知らぬコーチがいきなり話しかけてきて、「キャンプに参加すればアメリカに行ける」と訳の分からないことを言うのです。「アメリカ?お言葉ですが、ドリブルすらまともにできないのですが...」と目で訴えながら、コーチの話を聞いているだけでした。キャンプに参加して恥をかくのが怖い。だからキャンプに行かなかったのです。母親は家を留守にしており、父親は仕事。当時は携帯電話なんてなかったので、誰にも見つかることはありませんでした。千載一遇のチャンスだというのに、家で弟のアーサーと一日中ゲームをしていました。アーサーは母親のお気に入りで、何をしても許されましたが、逆に僕には厳しかった。 そこで、母親の留守をいいことに、宿題を放ったらかして普段できないゲームを思う存分プレーしました。NBAへの夢が幻となっていく中、急に父親が帰宅しました。私がキャンプに現れなかったので、コーチが父親に連絡をしたのです。父親は軍人です。 しかも、ただの軍人ではなく、絵に描いたような典型的な将校です。声を荒げなくても、目を見れば背筋が凍るほどの威厳にあふれていました。父親に知られた以上、僕には次の日にキャンプに行って恥をかくという選択肢しかあ りませんでした。それでも、コーチ陣は僕が来ないのではないかと思い、家まで迎えに来てキャンプへ連行していきました。僕はひたすら「悲惨な結果が目に見えているのに、なぜみんなはこんなに自分を気にかけるのだろう」と道中で考えていました。キャンプでは初日にダンクを決めました。マイケル・ジョーダンみたいに華麗に宙を舞ったわけではないけれど、相手を飛び越えて、ほとんど跳ばずに決めました。そしたらみんなが「やばっ!」みたいな雰囲気になって。まさか、この日で人生が変わるなんて思っていませんでした。心のどこかでは、まだ家に閉じこもってゲームをしていたかったのです。キャンプで注目を浴びたおかげで、南アフリカで開催されるバスケットボールの大会に招待されました。ここでもスカウトの目に留まり、アメリカの高校に進学してプレーすることになったのです。一瞬の出来事でした。数カ月ですべてが進み、カメルーンを出発してフィラデルフィア・セブンティシクサーズにたどり着くまでの期間は3年。両親やコーチたちが僕を信じていなければ、きっと未だに家で弟とゲームをしていたでしょう。一人では決してこの夢を叶えることはできませんでした。カメルーンを離れて3年。一度も戻ってくることができないほど、あっという間に時は過ぎました。

「ジョエル・エンビードSTORY後編」は9月10日に、「UA EMBIID ONE」の詳細は9月17日に公開される。

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