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「イット・バッグ」の申し子ケイト・スペード 悲劇の引き金は?

Jun 12, 2018.久米川一郎Tokyo, JP
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「KATE SPADE NEW YORK(ケイト・スペード ニューヨーク)」の創業者兼デザイナーだったケイト・スペード (Kate Spade)が、6月5日(日本時間6月6日)に自殺したというニュースでファッション業界に激震が走った。数十年患っている鬱病に加えて、夫アンディ・スペード(Andy Spade)に離婚を切り出されたことが自殺の原因ではないかという憶測が広まる中、自殺が発覚した翌日にアンディが現在報道されている離婚や不仲説は事実無根という声明を発表するなど事態は複雑化している。

驚いたのは、ケイトの姉レタ・サッフォ(Reta Saffo)が地方紙カンザスシティースター(Kansas City Star)に送ったメールによると、ケイトは「KATE SPADE NEW YORK」のブランド価値の毀損を恐れ、きちんとした治療を受けていなかったという話だ。彼女自身は2006年にブランドを離れていて1株も所持していないし、利害関係もないのだけれど。

アメリカのファッション誌「Mademoiselle」でアクセサリー部門のエディターをしていたケイトは、1993年にバッグブランド「KATE SPADE NEW YORK」を後に夫となるアンディと設立。1998年に年商は2700万ドル(約28億6200万円*)に達した。その翌年、スペード夫妻は保有している株式の56%をニーマン・マーカス(Nieman Marcus)に3400万ドル(約36億円*)で売り、2006年には残りの44%も5900万ドル(約62億5400万円*)で同社に売却。同年リズ・クレイボーン(LIZ CLAIBORNE)社がニーマン・マーカスからケイト・スペード社を負債を含め1億2400万ドル(約131億4400万円*)で買収した際、ケイト自身は子育てに集中するためという理由でブランドを去った。

リズ・クレイボーン社は当時40以上のブランドを擁していたが、2012年には社名をフィフス・アンド・パシフィック(FIFTH AND PACIFIC)に変更し、「JUICY COUTURE(ジューシー クチュール)」と「LUCKY BRAND JEANS(ラッキー ブランド ジーンズ)」、「KATE SPADE NEW YORK」の3事業に集中、翌年に「JUICY COUTURE」と「LUCKY BRAND JEANS」を売却し、社名をケイト・スペード&カンパニー(KATE SPADE & COMPANY)に変更した。2016年にケイト自身は新ブランド「Frances Valentine(フランシス ヴァレンタイン)」をローンチ。2017年にはタペストリー・インク(TAPESTRY INC.、当時はCOACH INC.)がケイト・スペード&カンパニー社を24億ドル(約2544億円*)で買収している。

ケイト・スペード&カンパニーの2016年の売上高は13億8100万ドル(約1464億円*)で、2017年時点で269の国と地域で180店舗以上を展開している。日本では1996年からサンエーインターナショナルが販売を開始。同社はアメリカブランドの輸入によって大きく成長したが、その後2009年からは米本社100%出資の日本法人ケイト・スペード ジャパンが設立された。

10年以上前に手離したとはいえ、バッグデザイナーとしてこれほどまでに成功した人物はいないのではないだろうか。そのカラフルなバッグはit bagの歴史において、ひときわ大きな輝きを放っている。「KATE SPADE NEW YORK」は自分の名を冠したブランドながら、デザイナー自身がすでに引退してしまった代表的な例だろう。買収の話が持ち上がった当時、ブランドを手離さない方が良いという声も多かったという。ケイトとアンディがブランドを去っていなかったら、ここまで大規模なブランドにはなっていなかったと思うが、更年期や元々の精神の患いに、自分のブランドなのに手が出せないというストレスを感じ、今回のような悲劇を招くことはなかっただろう。

*1ドル=106円換算(6月12日時点)

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