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「ヴィアバスストップ」閉鎖!オンワードはコロナ戦争で生き残れるのか?

Feb 9, 2021.三浦彰Tokyo, JP
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「ヴィアバスストップ」代官山店

オンワードホールディングスがセレクトショップ「ヴィアバスストップ(VIA BUS STOP)」の事業を終了する。今の危機的状況から考えれば、万年赤字事業の「ヴィアバスストップ」を止めることなど当然のことと捉えられているだろうが、オンワードをよく知る者としては、本当に残念でならない。儲からない海外事業(その頂点はラグジュアリービジネス「ジル・サンダー」)やセレクトショップを我慢してやっていたのは、自分たちが単なるアパレルメーカーではなく、ファッション&アパレルの総合力を持ったファッション企業だという矜持を持っていたからだ。特にこの「ヴィアバスストップ」は、ファッション企業オンワードの原点にあたる存在だ。パリのセレクトショップ「「バスストップ」を1970年代に買収したのがその嚆矢である。実に先見的な動きで、ハードツービート号でフランスダービーを制覇(1972年)した競馬好きの創業者の樫山純三を彷彿とさせるのだ。まさに「オンワード」であった。この「バスストップ」の存在によって、新進デザイナーの一人にすぎなかったジャン=ポール・ゴルチエ(Jean-Paul GAULTIER)を支援することで絆が生まれたし、マーク・ジェイコブス(Marc Jacobs)さらには「前衛」の域にまで達しているフセイン・チャラヤン(Hussein Chalayan)を援助して代官山に路面店までオープンしていたほどなのである。この「前衛」の領域まで突き進んでいった「ヴィアバスストップ」を率いたのが、オンワードのビッグO(オー)こと故奥田彰であった。奥田彰は2011年に62歳で急死してしまう。

書き忘れだが、ゴルチエを見い出した中本佳男というパリ駐在所長がいたのだが、彼も若くして癌に倒れて1993年に亡くなったサムライであった。ビッグO奥田とサムライ中本は今回の「ヴィアバスストップ」の事業停止の報を草葉の陰でどのように聞いたのだろうか。

オンワードには、こうしたファッション派とアパレル派が共存していて、それが絶妙なバランスで成り立っていた。儲からないファッション派はもちろん分が悪いのだが、それでも社内にその命脈は保たれていた。それが今回の閉鎖でなくなってしまう。いかにコロナ禍に端を発した百貨店アパレルの危機が重大なものであるかが分かる。ただし、その危機はコロナが直接の原因ではあるが、長年積み重ねられた構造的な問題なのである。

オンワードの得意技は「蛇腹」である。あのアコーディオンの蛇腹のように、儲かっている時には目一杯広げて様々な可能性を探り、儲からなくなったら蛇腹を閉めて効率を重視したケチケチ経営を行う。この切り換えが実に素早く巧みなのだ。オンワードケチ山などという悪口を叩かれたものである(笑)。

同社の広告戦略というものは徹底していて、海外のライセンスブランドの広告というのはほとんどしなかった。同社の関係者にその不思議を問うと、「海外ブランドを広告しても、いずれ奴等は我々と契約を止めて自分たちで日本戦略を始めてしまう。そんなものを広告してどうするんですか」と平然と言い放っていたものだ。こういう図太さがあったから「ポロ ラルフ・ローレン(Polo Ralph Lauren)」や「カルバン クライン(Calvin Klein)」のライセンスが無くなって、社業が大きく傾くことはなかったのだろう。こうした算盤尽くの筋金入りのケチ山マンが支配する面白くもないアパレル会社にオンワードホールディングスは今後はなってしまうのだろうか。

青山商事、アオキインターナショナルといった郊外型紳士服チェーンが勃興した1980年代後半からの紳士服戦争、それに続くユニクロ戦争でも図太く生き抜いて来たのがオンワードである。今回のコロナ戦争も生き抜いて再びオンワードの旗をマーケットにたなびかせることを期待したいものである。

少なくとも青写真では日本の百貨店市場はいくら縮小したとしても、総額で4兆円で下げ止まる。その30%がアパレルの売り上げだとしても1兆2000億円。その20%のシェアを保って2400億円程度の年商は確保できるはずだという読みがオンワードにはあるはずである。果たしてこの胸算用はコロナが一段落後にも通用するのかどうか。オンワードの今後に注目したい。

 

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