「紀州のドン・ファン」と呼ばれた和歌山県田辺市の会社社長の野崎幸助氏(当時77歳)が2018年5月24日に不審死してから、実に3年が経過するが、55歳年下の妻だった須藤早貴容疑者(25歳)が4月28日に東京・品川区にある高級タワーマンションで野崎氏殺害の容疑で逮捕された。野崎氏の死因は急性覚醒剤中毒だが、須藤容疑者の覚醒剤入手経路の捜査などに時間を要したようだが、それにしても3年もかかるとは、日本の警察の捜査能力に疑問を持ってしまう。
ファッション業界においては、事件直後「紀州のドン・ファン効果」がラグジュアリーブランドで認められたと話題になった。つまりあの77歳の田舎紳士でも55歳年下の美女と結婚したのをはじめとして、若い女性を数多くものにしたのは、一にも二にも高級宝飾、ラグジュアリーブランドのバッグのプレゼント攻撃のためだ、と中高年男性に思わせて、かなり長い期間にわたって百貨店を中心にしてその分野が活況を呈したというのである。俄かに信じ難いことではあるが、この美女攻略のイロハを思い起こさせた「功績」は大きいと百貨店の宝飾関係者が実際に語っていたのを今回思い出した。
以下の話はAERA dot(週刊朝日)によるものであるが、野崎氏の本名は樫山。野崎姓に変えたのは、2番目の妻と結婚した時の妻の助言があったからだという。樫山といえば、服飾メーカーのオンワード樫山が思い浮かぶ。そこで野崎氏は貸金の屋号をオンワードにし、オンワード樫山と記したティッシュをオンワード樫山本社前で配ったらすごく客がついた。だが、すぐにオンワード樫山から訴えられて、敗訴。その後は金を貸すターゲットは公務員、上場会社の社員に決めていた。「先に公正証書を作成して、返済が滞ったらすぐに、給料を差し押さえ。まあ、そういう知恵は働く人でした」(野崎氏の知人談)。1997年には和歌山県の高額納税者の第2位(約2億円)にランクインしたこともある野崎氏だが、自伝のタイトルは「紀州のドン・ファン 美女4000人に30億円を貢いだ男」(講談社)だった。
一方、須藤早貴容疑者は札幌市内の公立の中学・高校を卒業後に、札幌ベルエポック美容専門学校に入学。すでにススキノのホストクラブに繰り出しては派手に遊び借金をつくるようになり、返済のために「パパ活」をしながら専門学校を卒業し上京。野崎氏からは月100万円をもらい和歌山には月に何回か行かなれければならない条件だったが、この条件が履行されずに離婚を切り出されたために、これが引き金になって犯行に及んだのではないかと見られている(以上スポニチアネックス)。
いかにも平成末期の荒んだ世相を思い起こさせるような事件だった。こうした愁嘆場に至らずとも、日本のさまざまな場所でドン・ファン爺さんが「パパ活」女子と逢瀬を楽しんでいたのだろうが、それも新型コロナウイルス のおかげで鎮静化しているのだろうか。