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脱・アパレル中心のライフスタイル企業を目指すクロスプラス【前編】山本大寛社長インタビュー

May 24, 2022.三浦彰Tokyo, JP
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クロスプラスの山本大寛社長(撮影:高瀬博)

少子高齢化、SPA企業やEC企業の躍進など従来型のアパレルメーカーには厳しい市場環境が続いている。さらに2020年2月からは新型コロナウイルスの感染拡大もありその厳しさは一入だ。そうした中で独自の経営スタンスを打ち出しているのがクロスプラス(東証スタンダード上場、本社名古屋市)だ。最近の上場アパレルメーカーでは、いわゆる叩き上げのプロパー社長に代わって、東大卒や大学院卒の投資会社、コンサルティング会社出身者が目につくようになっている。クロスプラスの山本大寛(ひろのり)社長(44歳)も東大大学院卒業後新日本製鐵(現新日鉄住金)にエンジニアとして入社し、その後2008年にクロスプラス入社、2011年執行役員、2014年に社長就任している。

「大学院卒業後エンジニアとして新日本製鉄に入社。結婚した妻がたまたまクロスプラス創業家の孫でした。前社長の森文夫現相談役の娘だったということです。そんな縁でクロスプラスに入社することになりました。森社長もコマツ(小松製作所)出身で、当社創業者の辻村重治の娘と結婚して、クロスプラスに入社しています」。

故辻村重治氏は、イトキン創業者の故辻村金五氏の兄にあたる。2人とも岐阜県大垣市出身。クロスプラスは昨年創業70周年を迎えている。創業当時は櫻屋商店、その後櫻屋商事を経て社名が現在のクロスプラスになっている。

現在イトキングループとはほとんど交流はないという。さて、山本社長は現在の日本のアパレル市場をどう見ているのだろうか。

「やはり縮小していると実感しています。その一方でグローバル企業は規模を拡大しています。いわゆる二極化が進行しています。我々の領域では、ファストファッションが領域を広げ、またD2Cという形で新規参入もあり、業界が若返っている印象もあります。そうした意味では我々も活性化していかなければならないと思っています」。

クロスプラスの現状はどうなっているのだろうか。

「当社の現在の売り上げの80%強はODM(取引先ブランドのデザイン&生産)です。繊維商社との違いは、当社には200人ほどの企画スタッフがいます。そのデザイナー、パタンナー、マーチャンダイザーが、自分たちでデザインした商品をブランドに提案して、OKがとれるとそれを生産して納品しています。OEM(相手方ブランドの生産)はあまりやっていません」。

同社の2022年1月決算は、売上高591億2000万円(前年比-7.6%)、営業利益-15億6000万円(前年21億4800万円)、経常利益-12億9600万円(前年25億3000万円)、親会社株主に帰属する当期純利益-16億6600万円(前年20億100万円)と厳しい決算になった。この原因を山本社長はこう分析している。

「コロナ禍による店舗縮小と在庫適正化の影響を一気に受けた結果です。今期は挽回できると思います」。

クロスプラスはライセンスブランドの生産も行なっているが、これもODMということになるのだろうか。

「ライセンス元がデザインを提供するということは現在ほとんどありません。ODM生産が80%というのは、我々が保有しているブランドを付けるのか、相手先指定のブランドを付けるのか、我々が契約しているライセンスブランドを付けるのか、の違いです。いずれにしても我々がデザイン・生産する商品が売り上げの80%ということです」。

残りの20%は?

「これは我々のブランドショップの売り上げとEコマースの売り上げになります。Eコマースは現在総売上高の3%程度です。現在のODM80%の体制では不安もあり、ECブランドを増やして早急に10%(60億円)まで持っていきたいです。さらに100億円体制を目指したいですね」。

山本社長は、アパレル業界ではある意味異色の経営者であるが、この8年間でクロスプラスをどんなふうに変えて来たのだろうか?

「私のように違う業界から来た人間がガラッと経営の仕組みを変えてしまうのは、歴史を振り返ってもあまりうまくいっていないケースもあるようです。しかし、在庫管理などは手が付けやすかったので力を入れてきました。また当社が年間で扱う量は5000万枚を超えます。この物流コストを段階的に減らして安定的に収益が上がる構造を作ってきました。加えて、アパレル業界では遅れていた伝票のIT化やリモートワークなどは、コロナ禍以前に着手していました。私自身は、いつもは名古屋本社にいて月2~3回東京に来るぐらいなので、テレビ会議などもかなり前から導入していたし、私が入社した頃はまだハンコなどもありましたが、今はほとんどが電子書類です」。

【後編】に続く

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