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菅付雅信の好著「不易と流行のあいだ」に欠けているもの

Apr 15, 2022.三浦彰Tokyo, JP
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著者の菅付雅信氏

「WWD JAPAN」の連載「不易と流行のあいだ/ファッションが示す時代精神の読み方」が書籍化(平凡社 1600円+税)され3月25日に発売になった。正直言って、ファッション・ジャーナリストという人種の書く文章というのは、「ファッション・ヴィクテム(犠牲者)」ぶりをさらけ出した馬鹿馬鹿しいものか、背後に札束がちらついている空疎なブランド礼賛記事ばかりだ。その中にあって、この新著の著者である菅付雅信氏(1964年生まれ)はまだジャーナリストの良心というのを持っている稀有の存在と言っていいのではないだろうか。

ファッション業界紙は言うまでもなく、ファッション雑誌も、ブランドからの広告収入で生存している限り、ブランドを批判するというような言辞はたとえそれがいかに建設的なものであってもなかなか許されない。数々の商業誌の編集長を歴任して来た菅付氏もそんなことは百も承知だろう。そうした菅付氏が、ファッションの未来を信じずにはいられないというのはよく分かる。特にコロナ禍にあって、ファッションは決して「不要不急」のものではなく、その「余剰性」こそがファッションの本質であると再三再四述べている。ちょっと涙ぐましいほどである。

私のように、あと何年先かは分からないが、人間の衣服というのはよく宇宙人として描かれるような高度なスキン状のものになっているだろうと予測している者にとっては、「ファッション」が「余剰物」と言われても一種の虚言にしか感じられないのだ。

菅付氏は、あろうことかマタイ伝の「人はパンのみに生くる者にあらず」の言葉を持ち出してくる。「人間はパン=ニーズのみにて生くる者にあらず。嗜好品は人間という常にない物ねだりをする厄介な動物の心の維持装置。ただし嗜好品もアップデートされないといけない」(P.4)と書く。これにはキリストもきっと怒りだすに違いない。

さらには、「人はパンのみに生くる者にあらず」の「パン以外が余剰であり、ファッションとはそれを最も高らかにうたう領域であり、ファッション誌はそれをフェティッシュに味わえるメディアだ」(P.7)と礼讃する。ファッション誌がただの「欲望喚起装置」にしか思えない私としては失笑を禁じ得ない。「人はパンのみに生くる者にあらず」はもちろん、パン=物質ではなく、精神的な思念の重要性を説いた言葉である。人類の根本的存在原理を歪曲してまでラグジュアリーブランドをはじめとした「余剰」の重要性を説かなければならないのだろうか。

ジャーナリストに最も必要なものは、批判する力であろう。それは「常識」から導かれたきわめて健全な精神の作用だ。例えば希少性や憧れがその本質であるラグジュアリーブランドのいくつかが、全世界で1兆円も売っているということの不思議である。例えば「孫の代まで使えます」と謳うラグジュアリーブランドが毎年前年比20%も売り上げを伸ばし続けて20年にもなるというような矛盾が起きている現実である。こういう不思議や矛盾をこそ語るべきなのに、そうしたことには口を噤む。
 
菅付氏は、カール・ラガーフェルドの死に際しては、「大衆の気分がわかる人、最後の皇帝は、ファッションの民主化革命の中で、その貴族性を損ねることなく、民衆のものにする懸け橋となった」(P.44)と絶賛する。そうだろうか?ラグジュアリーブランドにおける「傭兵デザイナーシステム」のプロトタイプを作った人物という私の評価とは懸け離れている。「彼(ラガーフェルド)が活躍した1970年代から2010年代までを振り返ると、ラグジュアリーブランドが大衆化した時代だった」(P.44)と菅付氏は書くが、「ラグジュアリーブランドのマルチコングロマリットがファッション独占資本主義を構築した時代」と書くべきだろうと私は思う。

いくつか苦言を呈してきたが、菅付氏の本著が凡百のファッション本を軽々と凌駕する好著であることは間違いない。私のようなヘソ曲がりではないファッションが好きな人々には発見がたくさんあると思う。是非一読を薦めたい。

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