アルベール・エルバス(Alber Elbaz)が4月24日にパリ市内の病院で死去した。新型コロナウイルス感染が死因だという。59歳の生涯だった。1961年にモロッコのカサブランカで生まれ、10歳の時にイスラエルのテルアビブに移住し、それ以降同地で育つ。父はイスラエル人の床屋で母親はスペイン人のアーティストだという。幼少時に父を亡くし、母親に育てられた。兵役を終了後に同地でファッションを学び、1988年にシェンカー・カレッジ・オブ・テキスタイル・テクノロジー&ファッションを卒業後、わずか800ドルを手にニューヨークに渡る。「ジョフリー・ビーン(Geoffrey Beene)」、「ギ・ラロッシュ(Guy Laroche)」、「イヴ・サンローラン(Yves Saint-Laurent)」、「クリツィア(Krizia)」などで働いた。以上はWikipediaによる彼の前半生の要約である。
彼の父親が床屋だというのをこのWikipediaで初めて知ったが、なるほどと思う。たぶん父親似だったのではないだろうか。単独のインタビューはしたことがないが、プレス関係者を招いた小規模な食事会でちょっとした会話をしたことがある。小柄な肥満体で本当にこの男はデザイナーなのだろうかと思うほど腰の低い男だった。そして茶目っ気があって、落語家の林家こぶ平(現林家正蔵)に似ているので、我々の間では「こぶ平」の愛称で呼ばれていた。日本文化を愛していて、特に相撲が大好きで、よく両国の国技館に相撲見物に行っていたらしく、国技館前で撮った写真がたくさんあった。
前述した「ギ・ラロッシュ」の後は、創業デザイナー退任後のプレタポルテ(いわゆる「リヴ・ゴーシュ」)のデザインをサンローラン本人から直々に依頼されて、1998-1999年務めていたのだからすでにその実力は十分認められていたのだろう。サンローラン社がグッチ・グループに買収されて、トム・フォード(Tom Ford)がそのクリエイティブ・ディレクターになってエルバスは退任。その後、「クリツィア」の仕事をしていたが、創業デザイナー(マリウッチア・マンデリ)との確執があって退任。実力はあるのになかなか「職場」に恵まれなかった印象がある。そうしたエルバスにめぐってきたビッグチャンスが2001年の「ランバン(Lanvin)」のアーティスティック・ディレクター就任である。これがエルバスの名をファッション史に刻むことになる。ランバン社への在籍は実に2015年まで14年に及ぶ。名門ブランド「ランバン」は大きく復活した。といっても、「WWDジャパン」の2017年の記事では2012年の年商2億5000万ユーロ(325億円、1ユーロ=130円換算)をピークにしてその後減り続けているらしい。ラグジュアリーブランドとしては「小規模」と言っていいかもしれない。台湾のメディア王のワン・シャオラン(Shaw-Lan Wang)が「ランバン」を買収していた。まさにワンマン体制を敷いていてあの温厚なエルバスが衝突したと言われているからよほどの独裁経営者だったのだろう。2018年には中国の復星国際有限公司に買収されている。エルバス退任後はランバン社は赤字転落し、特に度重なるデザイナー交代が続くウィメンズプレタの売り上げが急減しているようだ。
エルバスの創り出すファッションは、現代のエレガンスとは何かに対する実に見事な回答だった。それもきわめて計算されたほとんどエンジニアではないかと思わせるような高度なテクニックを使ったデザインだった。大衆人気からは程遠かったが特にファッション・ジャーナリストと本当に服好きのファンからの評価が高かった。
不思議なことに、エルバスは自らのブランド(シグニチャー・ブランド)を発表するということに興味はなかったようだ。まさにデザイナーの才能を余すことなく吸い取ってしまうラグジュアリーブランドのデザイナー傭兵システムの典型的な例に挙げられるような人物だった。とは言え、「ランバン」での14年間ではほとんど自分がプレタポルテでやろうとしたことはやり遂げたのかもしれない。個人的には、「シャネル(Chanel)」のカール・ラガーフェルド(Karl Lagerfeld)を継ぐのはエルバス以外にはいないとずーっと思っていたが、それも叶わぬ夢となってしまった。
エルバスが2015年10月にアーティスティック・ディレクターを務めた「ランバン」を去って以来、約5年ぶりの完全復帰を果たしたのが「AZファクトリー」というブランドだ。「カルティエ(Cartier)」などを手掛けるラグジュアリーブランドによるマルチ企業であるリシュモンとエルバスのジョイントベンチャーだった。2021年春夏オートクチュール・ファッション・ウィーク期間中の1月26日に25分間の映像によってデビューした。まさにエルバスのエンジ二アドエレガンスを具現した現代のエレガンスであった。AZとはAlber Elbazの最初と最後のアルファベットAZのことだろうが、自分のシグニチャーではなく「AZファクトリー」というブランド名にしたことに、傭兵デザイナーとしての人生を全うしたエルバスの意地を見ることができる。まさかそれが彼の人生のA to Zだったとは神のみぞ知るところであった。合掌。