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「東京マラソン2026」完走記 サブ7(制限時間ぎりぎり)、それでも走り続けた42.195km

NEWApr 3, 2026.高村 学Tokyo, JP
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3月1日に開催された東京マラソンを走った。正式名称は「東京マラソン2026」。言うまでもなく、日本を代表する市民マラソンであり、世界でも有数の人気と規模を誇るランニングイベントだ。

出場ランナーは3万8773人。それを支えるボランティアは1万人規模にのぼる。新宿の都庁前をスタートし、市ヶ谷や神田、浅草、銀座、田町などを経て東京駅前に至る42.195km。普段は人や車が行き交う都市の大動脈が、この日だけはランナーのために開放される。

世界中から集まったランナーが一斉に走り出す光景は、単なるスポーツイベントというよりも、ひとつの都市が丸ごと動いているような感覚すらある。その中に自分がいる。それだけで、高揚感と少しの不思議さが入り混じった感情が湧いてくる。

ランナーたちは走ることを本当に自由に楽しもうとしている。アニメのキャラクターに扮する人もいれば、下駄で走る人もいる。カラフルなウェアに身を包み、腕にはウェアラブルウォッチを着けてタイムを計る姿もすっかり定着している。「東京マラソン」が進化するのと同じように、ランナーたちの楽しみ方もどんどん広がっているようだった。

9時10分、スタートの号砲とともに、新宿の高層ビル群を抜けていく。沿道にはすでに人の波ができており、音楽演奏やダンスなど、ランナーを応援するイベントが賑やかに繰り広げられていた。耳に入ってくる声援は日本語だけではない。英語や他の言語も混じっている。海外からのランナーも多く、このレースがいかに世界と繋がっているかを実感する。

誰に向けられているのか分からない声援でも、不思議と自分に向けられているように感じる。マラソンは孤独な競技だと思っていた。だが実際は違った。名前も知らない人たちに応援され、見知らぬランナーと肩を並べて走る。その一体感は、他のスポーツではなかなか味わえないものかもしれない。

給水地点では、驚くほどの数のボランティアが笑顔と声援とともに水やスポーツドリンクを手際よく用意している。何万人ものランナーに対して、あのテンポとホスピタリティを維持するのは簡単なことではない。それでもボランティアたちは疲れた様子を見せず、ひたすら声援を送り続けてくれる。朝早くから立ち続け、沿道の人々は何時間も声を出し続ける。その熱量が積み重なり、東京という都市のエネルギーがそのまま可視化されたような空間が生まれていた。

浅草に差し掛かると、見慣れた街並みがまったく違う景色に見えてくる。普段は観光客で賑わうエリアを、自分が走って通過している。靖国通りや中央通りといった大通りも、車ではなくランナーで埋め尽くされている。日常の風景が非日常へと変わる。その変化が、なんとも言えない高揚感を生んでいた。だが、その高揚感は長くは続かなかった。

20kmを過ぎたあたりから、明らかに脚が重くなってきた。股関節、膝、足首に違和感が走り、それが次第に痛みに変わっていく。「まだ半分もあるのか」と、そんな考えが頭をよぎる。地下鉄の駅の出入口が視界に入るたびに、考えてしまう。初マラソンで20kmも走ったのだから十分に立派じゃないか、ここでやめて電車に乗って帰ってしまっても恥ずかしいことではないのではないか、と。

地下鉄の出入口だけではない。救護スタッフの姿が見えるたびに、「リタイアします」と言い出してしまいそうになる。30kmを過ぎると、もはや走っているのか歩いているのか分からなくなる。脚はいうことをきかず、一歩一歩が痛い。前に進むこと自体が苦痛になる。

そんな中で、ふと周りを見渡す。同じように苦しそうな表情で走るランナーたちが目に入る。脚を引きずるように進む人、顔を歪めながら痛みに耐えている人。それでも誰一人として止まろうとはせず、前に進み続けている。彼らもまた、きっとそれぞれの理由や思いを背負ってここにいるのではないかと思った。その瞬間、胸の奥から何かが込み上げてきた。ああ、自分だけじゃないんだ、と。見知らぬ人たちなのに、不思議な連帯感が自分の中に生まれていた。

自分には約束があった。三つの癌が見つかり、闘病中の89歳の父に、完走者に贈られる「完走メダル」を持ち帰るという約束だ。父は千葉県松戸出身で、高校時代にはマラソンの県大会の代表に選ばれるほど脚が早かった。マラソンに関する当時のエピソードは、幼いころから何度も聞かされていた。きっと父の人生において、もっとも誇らしい思い出のひとつなのだろう。走っている最中、何度も父のことが頭に浮かんだ。脚が痛くて立ち止まりそうになるたびに、「ここでやめたら約束を果たせない」と思った。ただそれだけの約束が、壊れかかった脚を前に出す力になった。

父はもう走ることはできないだろう。歩くことさえ厳しいかもしれない。その時ふと、もしかしたら自分は父の代わりとして「東京マラソン」を走っているのかもしれない、そんな思いにも駆られた。だから、絶対に止まるわけにはいかない。一歩ずつでもいいから、前に進む。這うようにしてでも、前に進む。ただそれだけを自分に繰り返し言い聞かせた。

無我夢中で前に進んでいくうちに、フィニッシュラインが見えた。その瞬間、最初に浮かんだのは父の顔だった。東京駅前・行幸通りのフィニッシュラインを通過する。完走タイムは、恥ずかしながら「サブ7」。だが、やり切ったという実感と、約束を果たせたという安堵があった。あの時の感動は、おそらく一生忘れない。完走メダルを受け取ったとき、その重みがやけに現実的だった。42.195km分の時間と、苦しさと、感動がそこに詰まっている。

今回のレースを通じて、走ることの意味を少しだけ理解できた気がする。それは単に速さを競うものではなく、自分自身と向き合う行為だった。そして、その経験は多くの人たちによって支えられていた。沿道で応援してくれた人々。サポートしてくれたボランティア。大会を支えた運営スタッフ。トレーニングなどサポートしてくれたアシックス。どれが欠けても、このレースを完走することはできなかったと思う。

思えば、この「サブ7」というタイムのおかげで、トップランナーたちよりも長い時間をかけて「東京マラソン」の醍醐味を味わうことができたのかもしれない。東京という街が持つ優しさと、言葉を超えた連帯感を深く肌で感じることができた。

自分にとって、記録はそれほど重要ではなかった。サブ7でもいい。諦めないこと、完走することにこそ意味があった。そしてその経験は、想像していた以上に価値のあるものだった。速く走る必要はない。最後まで進み続ければいい。では、「東京マラソン」は今回、参加したランナーたちのどんな思いを紡いでいったのだろう。走る喜びだけではない。自己実現や達成感、家族や仲間との絆、そして記録への挑戦。3万8773人それぞれの思いが、この42.195kmのコースに確かに刻まれたのだと思う。

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