不得手なのか時間がないのか、何故に誰も書かないのかと思うに至り、書く。コロナ禍での海外渡航全面不可の折にもいくつかのコレクション記事執筆依頼は受けたが、ここまで海外出張が解禁されると書くモチベーションよりも適職か否かの自問自答がある。が、音楽とファッションの蜜月は日本においては誰も書かないので、書く。そう、新生「グッチ(GUCCI)」について。
9月22日(金)のランウェイから早や10日。開催前から参画キャストのみ情報開示されていたショー音楽のオーガナイザーは、わかりやすく言うと、映画『Barbie』の劇中歌およびサウンドトラックを手掛けた英国出身の音楽プロデューサーであるマーク・ロンソン(Mark Ronson)。バービー鑑賞勢と新生グッチ期待勢の積集合は、アップカミングな楽曲と、満面のスマイルで伴送するマーゴット・ロビーのような金髪モデル人形を想像したことだろう。
果たして、「グッチ」2024年春夏コレクションのファーストルックから折り返しまでを担ったショー音楽は、クィアアウトのアンサーソング「Loveher」だった。2005年に英国で結成されたポップバンドの「The xx(ザ・エックス・エックス)」に所属するロミー(ROMY)が、今年6月に満を持してリリースしたソロデビューアルバム『Mid Air』の1曲目だ。ロミーは7月のフジロックでもマスキュリンなロックTシャツを着て来日公演している。女が惚れる女、かくあるべし。記念すべきファーストルックで「LGBTQ+」のコンセンサスまでも一発で浸透させたマーク・ロンソンの手腕が光る。
ところで、「The xx」のメジャーデビューは2005年であるからしてロミーはソロデビューまでに18年を費やしている。今春夏が「グッチ」クリエイティブ・ディレクターとしてのデビューコレクションとなった伊・ナポリ出身のサバト・デ・サルノ(Sabato De Sarno/1983年3月31日生)は、ファッション業界の黒子として足掛け20年以上の中堅どころだった。実績を積み上げた三十路のアーティストと己にシンパシーを抱いたかは知らないが、この解釈だけではランウェイだけに道半ば。フィナーレではイタリアの国民的歌手、ミーナ・マンツィーニ(Mina Mazzini/1940年3月25日生)がピロートーク中に突然シャウトする「Ancora, ancora, ancora」(1978年)でジャーナリストやセレブリティのノスタルジーを刺激しつつ、喝采のなかで幕引きしているのだから。曲名の意訳は「もういちど、もういちど、もういちど(愛して)」。今春夏のテーマであった「Gucci Ancora」と共振させた。
ちなみに、「ねェ、恋をしたのよ」でお馴染みのカバー曲「月影のナポリ」(1960年)はミーナが1959年にリリースした名曲(原題:TINTARELLA DI LUNA)。昭和ポップスとしてカバーした森山加代子は2019年に死去しているが、ミーナは存命。その世代の往年の顧客層をもう一度取り込みたいという新生「グッチ」の明確なヴィジョンが伺える。
今年1月30日に「グッチ」の新しいクリエイティブ・ディレクターに就任し、初ランウェイの重責を不惑にて果たしたデ・サルノは、ミラノのイスティトゥート・セコリで学び、2003年1月に「プラダ(PRADA)」にウィメンズアシスタントパタンナーとして入社した生粋の現場人間。建築で言えば大工である。なんと、2006年6月からは老舗ニットアパレルのアンナプルナで働き、2008年2月から09年9月までの短期間に在籍した「ドルチェ&ガッバーナ(Dolce&Gabbana)ではウィメンズのニットを任されている。2009年9月に前職の「ヴァレンティノ(VALENTINO)」に入社後は、マリア・グラツィア・キウリとピエルパオロ・ピッチョーリのもとでメンズとウィメンズのニットを統括し、13年の在職中では最終的にファッション全般を統括するに至る。実学を学ばずとも、大卒独立組から家具屋、企画屋、アーティスト、果てはエディターまでファッションデザイナー起用における選択肢になる昨今、パタンナー出身の経歴にはぐうの音も出ない。
なるほど、「プラダ」で培ったテーラリング技術と「ヴァレンティノ」のブランドエクイティを高めた無名の裏方の手腕は、ショー音楽の狙いとともに、シングルブレストのチェスターコートが登場した最初の10秒で十分なのだ。まるで内に秘めた野心のような、ロッソ アンコーラ(Rosso Ancora)と命名された深紅がキーカラー。18世紀後期に創業者のグッチオ・グッチがポーターとして働いていた英・ロンドンのサヴォイ・ホテルのエレベーターの壁の色から抽出したというが、シングルライダースの色としてもう一度引っ張り出したオリジナルへの敬意よりも、そんなバイト先の記録が残っている経緯のほうが驚きである。
加えて、ランウェイの5日前に発表した60年代の復刻アクセサリーのアンカー(錨)ネックレスをファーストルックで着用させるなど、当たり前の商魂もある。デ・サルノのミューズ、そしてメインターゲット層のイメージは、この「グッチ マリナ チェーン ジュエリー コレクション」のキャンペーンモデルに抜擢された懐かしのダリア・ウェーボウィ(Daria Werbowy/1983年11月19日生)で間違いない。これは日和見な若者との決別を意味する。ただ一点、富裕層に好まれるクワイエット・ラグジュアリーに香ばしいセクシャリティの解釈が入り込む余地を、ヘルシーかつ装飾過多のブラトップに残した。もちろん、アジア人向けサイズが用意されるはずであるし、アンチ・グラマーなセレブリティやDJ界隈が喉から手が出るほどに待ち望んだ踏み絵になるに違いない。ミニ丈のショーツとオーバーサイズの外套と絡めたスタイルバランスの妙技、ヘルシーの誇示は、確実に2024年のトレンドになるのだろう。
対して、前任者であるアレッサンドロ・ミケーレ(Alessandro Michele)の出自を紐解くと、彼は本気(ガチ)の小物好きだった。「フェンディ(FENDI)」でのシニア・アクセサリーデザイナーから始まり、2002年に「グッチ」へ移籍してトム・フォードのもとでバッグデザイナーを務め、2015年1月に(2015-16年秋冬)「グッチ」のクリエイティブ・ディレクターに就任するまで、2014年からの約1年間はイタリアの陶器メーカーである「リチャード・ジノリ」でも(どういう契約なのか)辣腕を振るっていたという筋金入りだ。犬猫虫、猫型ロボットなどのモチーフを取り入れ、NYヤンキースのコラボほかアイキャッチなキャップは未だに売れており、「アディダス(adidas)」、「ザ・ノース・フェイス(THE NORTH FACE)」、果ては「バレンシアガ(BALENCIAGA)」ともコラボし、アンドロジニアス(ジェンダーレスではない)なキッチュウェアに携える数々のバンブーモチーフバッグも売れた。まるで愛玩物のようなスマッシュコラボはデ・サルノの「グッチ」では期待薄であるが、「グッチよ、もう一度」ならばそれでいいのだ。
これは傭兵デザイナーであるデ・サルノの意思である。そして、前任のミケーレに続きデ・サルノを抜擢したマルコ・ビッザーリ=グッチ社長兼CEOの意思でもある。引いては、デ・サルノの就任発表の半年後となる今年7月18日、売上不振とブランド刷新目的からビッザーリの退任を決断したフランソワ・アンリ・ピノー=ケリング会長兼CEOの意思でもある。恐ろしいことに、デ・サルノはスタートダッシュから既に後ろ盾を失っている背水の陣なのだ。フィナーレで、白装束ならぬ黒のカットソー姿で控えめに挨拶していたデ・サルノの笑顔にはからずも安堵した。
2012年から親会社のケリング執行委員会のメンバーでもあったビッザーリは、2015年からグッチ社の成長戦略を指揮した傑物だ。この指定日は当然ではあるが、ビッザーリの表向きの最終出勤日はデ・サルノのデビューショー当日である9月22日(金)。まるでローディーのごとく、フロントマンの心理や舞台裏も含めて不謹慎にも楽しめたショーだった。生き馬の目を抜くラグジュアリーファッション業界人の悲喜こもごも、ここに極まれり。
ところで、今回の「グッチ」のショー、当初はミラノ市内のブレラ地区で野外開催される予定が、悪天候のため本社である「グッチ ハブ(Gucci Hub)」に会場が急遽変更されている。見慣れた巨大オフィス施設でのショー終了時刻は16時近く。出来立てほやほやの「Loveher」と、対照的な懐メロである「Ancora, ancora, ancora」の両A面。今にも落ちてきそうなミラノの空の下で、退勤時はどちらの曲がビッザーリの脳内でリフレインしていたのだろうか。