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『流行通信』元編集長・得田由美子さんが53歳で死去 美と向き合い続けた人生と早すぎる旅立ち

NEWMay 6, 2026.高村 学Tokyo, JP
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撮影:矢部志保

ファッション雑誌『流行通信』の元編集長で、「ピュビケアサロン白金台」の共同オーナーの得田由美子さんが4月30日、卵巣がんとの闘病の末、死去した。53歳だった。5月5日には東京都内でお別れの会が営まれ、多くの関係者が参列し、その早すぎる旅立ちを惜しんだ。

得田由美子さんは東京都立大学卒業後、広告代理店を経て、INFASパブリケーションズに入社。『WWDジャパン』編集部に配属されると、現場で経験を積む中で頭角を現し、30代の若さで日本を代表する老舗のファッション雑誌『流行通信』の編集長に抜擢される。当時のファッション雑誌業界は、コンデナスト・ジャパン社の斎藤和弘氏をはじめ、ハースト婦人画報社の森明子氏らといった個性と実力を兼ね備えた編集者たちがしのぎを削る時代であった。そうした中、30代での起用は当時としては異例の抜擢であり、その才能と感性に対する期待の大きさを物語っている。美しいものへの鋭い感性と、強い責任感で誌面づくりに全力で向き合った得田さんの編集長時代は、今もなお多くの関係者の記憶に深く刻まれている。

そして、その人柄で、多くの人に慕われてもいた。美を追求する一方でユーモアを忘れず、周囲を和ませる天性の明るさを持ち合わせていた。破天荒な一面を見せながらも、その言葉や振る舞いが人を惹きつけていた。『WWDジャパン』の元編集長であり、長年彼女を近くで見てきた三浦彰氏は、「唯一無二の存在だった」と語る。「当時、彼女の面接を担当したのは私だったんだが、彼女は45分も遅刻してきてね。私も忙しかったからお引き取り願おうとしたんだが、彼女は『私、三浦さんのコラムは全部読んでます』と切り出してきてね。そこから長々と始まった彼女の話術にすっかり魅了されて、いつの間にか採用を決めてしまったんだよ」と、当時を懐かしむ。「多忙」な編集長を、「長々」と引き留め、最終的には「魅了」してしまうという鮮やかすぎる手腕は、物怖じしない図太さと相手を瞬時に魅了してしまう彼女の非凡な素質をなによりも雄弁に語るエピソードといえる。

その後、長年にわたり日本のファッションカルチャーを牽引してきた『流行通信』は2007年に休刊を迎えるが、得田さんは最後の編集長としてその歴史の節目を見届けると、新たなフィールドへと歩みを進める。東京・白金台で「ピュビケアサロン白金台」の共同オーナーとして活動し、美と向き合う仕事を続けた。編集という形からは離れたものの、新たな環境の中でも、彼女らしい感性と行動力は健在だった。亡くなる直前には、自身の経験をもとにした「闘病ジャーナル」の構想を語っていた。婦人科検診の重要性を広く伝えたいという強い思いがあった。身体的には極めて過酷かつ切迫した状況にもかかわらず、ファッションの世界で培ってきた発信力を、社会的なメッセージへとつなげようとするその「精神のエネルギー」は、最後まで衰えることはなかった。

53年という歳月は、彼女の才能を語るにはあまりに短い。しかし、得田由美子さんが残した足跡は決して小さくない。ファッションメディアの最前線で時代と向き合い、美しさの意味を問い続けた彼女は、間違いなく日本のファッションシーンの一時代を担った存在だった。『流行通信』の姉妹紙ともいえる『WWDジャパン』の編集長だった山室一幸氏も52歳の若さで鬼籍に入る今、あの時代をともに駆け抜けた戦友の早すぎる旅立ちに寂しさを感じずにはいられない。

得田さん、本当にお疲れ様でした。あなたは本物の「ミューズ」でした。彼女の魂が、安らかであることを願って止みません。

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