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死去したジェーン・バーキンが「エルメス」に行ったあまりに大きな貢献

Jul 18, 2023.三浦彰Tokyo,JP
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猛暑のせいではないだろうが、最近私の「点鬼簿」に続々とよく知っている有名人が加わっている。

・7月7日:「頭脳警察」のPANTAこと中村治雄(享年73)

・7月11日:作曲家・指揮者の外山雄三(92)

・7月11日:作家のミラン・クンデラ(94)

・7月12日:タレントのRYUCHELL(27)

・7月12日:ピアニストのアンドレ・ワッツ(77)

・7月16日:女優・歌手のジェーン・バーキン(76)

 

誰ひとりとして実際に会ったことはない。音楽家がいるが、そのコンサートに行ったことはない。TV、ラジオ、CDでその演奏を聞いたことがあるくらいである。ミラン・クンデラの有名な小説『存在の耐えがたい軽さ』(1984年)は読んでいる。またそれが原作の映画(1988年)も(1984年)見た。今回、彼の死を機に、彼のWikipediaを読んでいたらクンデラが体制側の秘密警察への協力疑惑があることを知った。まさか!?と思ったが、それこそ「存在の耐えられない軽さ」ではないか。

クンデラのことはそれぐらいにして、7月16日に76歳で亡くなったジェーン・バーキンのことを書く。彼女のWikipediaを見ると、まさに絢爛たる人生で、1970年代、1980年代のヨーロッパ芸能史のまさに中心的存在だったのが分かる。ひょっとするとファッションイベントのゲストとしてちょっと顔を出した彼女を私は見ているかもしれない。

彼女はファッション業界に対してとんでもない貢献をすることになるのだが、それは以下のエピソードだ。

「エルメス」の五代目社長だったジャン・ルイ・デュマ社長が、偶然飛行機でジェーン・バーキンの隣に座った。ジェーン・バーキンは整理整頓が苦手でいつも手持ちのバスケットに大量の物を詰めこんでいた。その飛行機の中でもその通りだった。それを見かねたデュマ社長が「バスケットの中身をすべて入れられるバッグをあなたのために作りましょう」と提案。そして今や「エルメス」の代名詞とも言われる「バーキン」が1984年に誕生した。その原型になったのは、「サック・オータクロア」と呼ばれる大型バッグで、これは乗馬用の鞍(くら)を入れて持ち運ぶものだった。「バーキン」は「サック・オータクロア」が改良されたものだが、「バーキン」というニックネームが付けられたことで人気になった。「サック・オータクロア」では、たしかにそんなには売れなかっただろう。恐らく「バーキン」は現在年間3000億円程度の売り上げがあると推測される。その1%程度をジェーン・バーキンが手にしても決しておかしくないのだが、そんな要求をしたなどという話はきかない。

この「バーキン」の発案者とでも言うべきジャン・ルイ・デュマに私は2度ほどインタビューしたことがある。エルメス家というのは言ってみれば、歌舞伎の屋号と同じで成田屋とか松島屋みたいなものである。もともとはギリシャ神話の太陽神(エルメス)である。デュマ家というよりもエルメス家と言ったほうがたしかに有難味がある。

このジャン・ルイの前の社長である四代目社長ロベール・デュマがヒット商品にした「エルメス」のもう一つの定番バッグが「ケリー」だ。これももともとの名称は「サック・ア・クロア」だったが、1950年代末にハリウッドの大スターからモナコ公妃になったグレース・ケリーが妊娠中パパラッチに撮影された際に、とっさにこのバッグでお腹を隠したと言う出来事があった。ロベールはこの写真を見て、「サック・ア・クロア」に「ケリー」というニックネームを付けることを思いついたという。このニックネーム作戦も大当たりして現在に続いているのは言うまでもない。

ジェーン・バーキンの死去で、まばゆいばかりに、スクリーン&エンターテイメント界、ファッション界が輝いていた1970年代、1980年代のことが思い出された。私も年をとったということだとは思うが、そればかりではないだろう。

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