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「ミスターザッシ」と呼ばれた木滑良久、93歳で死す

Jul 21, 2023.三浦彰Tokyo,jp
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「ミスターザッシ」と呼ばれた木滑良久・マガジンハウス最高顧問

マガジンハウスの元社長で現最高顧問の木滑良久(きなめりよしひさ、1930〜2023)氏が7月13日に93歳で逝去した(既報)。

長寿を全うしたと言っていいが、その死を悼む声は日に日に高まるばかりだ。マガジンハウスの「BRUTUS」編集長から2001年「VOGUE」「GQ」を発行するコンデナスト・ジャパン社長兼両誌編集長に転じ2009年に同社を退社した斎藤和弘氏はこう語る。

「ミスタープロ野球と言えばいまだに長嶋茂雄ですが、雑誌屋にとってミスターザッシと言えば木滑良久ですよ。日本の男性ライフスタイル誌にとって、男はこうあるべきだという理念で雑誌を成功させた人ですね。時代と雑誌メディアがリンクできた幸福な時代を全力で生き抜いた人でした」。斎藤氏は続ける。

「ミスタープロ野球の長嶋茂雄もミスターザッシの木滑良久も立教大学出身ということで、仲良しだったようです。昔マガジンハウスの資料室で腰を抜かしそうになった写真を見つけました。『週刊平凡』のグラビアページでニューヨークのパンナムビルの屋上(ウルトラ横断クイズの決勝点として有名)でIVYルックの長嶋茂雄と石原裕次郎がツーショットに収まっている写真です。担当は木滑さんでした。昭和30年半ば頃の撮影で、まだ渡航制限があった時代だと思います。平凡出版(後のマガジンハウス)では入社(1955年3月)当時は『週刊平凡』の羽田空港番だったようですね。セレブの来日、出国を一手に引き受けて取材していたようです」。

とにかく、マガジンハウスでは創業者で初代社長である岩堀喜之助(1910〜1982)、やはり創業メンバー5人のひとりで2代目社長の清水達夫(1913〜1992)と並んで、木滑良久はマガジンハウスにとっては銅像が立つくらいの存在なのであった。しかし、1973年に異動を契機にして平凡出版を退職した石川次郎(1941〜)と同時期に木滑は平凡出版を一度退社しているという経歴を今回知った。1975年に前述した清水達夫が平凡出版社長に就任すると同時に、木滑は石川次郎とともに再び入社している。その後すぐ1976年に「POPEYE」を創刊。さらに1980年に「BRUTUS」を創刊し、いずれも初代編集長を務め、日本の男性ライフスタイル誌の原型を作っている。

前述の斎藤氏に、木滑良久にライバルはいたのか尋ねてみた。「同年輩ということもあり『クロワッサン』『ダカーポ』『自由時間』を創刊した甘糟章(あまかすあきら 1929〜2013)氏を挙げる人がいるかもしれないが、ちょっとタイプが違う。編集に対する向き合い方で、一番似ていてライバル関係にあったのは2021年11月に亡くなった淀川美代子さんだったかもしれない」と斎藤氏。

淀川美代子、木滑良久という稀代の大編集者が鬼籍に入り、雑誌の世界ではいよいよひとつの時代が終わった感がある。マガジンハウスは、今年4月25日から銀座本社の上に4フロア分のバーチャル空間「Magazinehouse Institute of Good life(略してMIG)」をオープンして壮大な実験を始めている。淀川、木滑は天上からこの試みをどんな眼差しで見ているだろうか。後日、お別れの会が予定されている。合掌。

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