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「燃える闘魂」アントニオ猪木がついに燃えつきる かつては「伊勢丹前襲撃事件」も

Oct 2, 2022.セブツー編集部Tokyo,JP
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「無茶フェス2020」出演時のアントニオ猪木

プロレスラーのアントニオ猪木(猪木寛至)が10月1日、全身性トランスサイレチンアミロイドーシスによる心不全のため東京都内の自宅で死去した。79歳だった。アントニオ猪木は1943年に神奈川県の鶴見で出生、猪木が5歳の時に父親が亡くなり、13歳でブラジルに家族で渡る。ブラジルでは陸上競技の選手として現地の大会に出場し、砲丸投げの種目で優勝、その際にブラジル遠征中の力道山にスカウトされる。その後、日本に帰国し、プロレスラーとしての道を歩むことになる。1972年には新日本プロレスを旗揚げし、プロレスこそ最強の信念からストロングスタイルを標榜し、数々の名勝負を残してきた。「燃える闘魂」の象徴として首に巻いた赤いタオルと、猪木の代名詞のひとつであるコブラツイストを表して背中にコブラが描かれたガウンなどで入場するシーンが印象的だった。まさに昭和の時代を熱く燃えさせ、後世の格闘技界にも大きな影響を残した天才レスラーであった。

アントニオ猪木の名勝負は、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの異種格闘技戦やロープ越しのアックスボンバーによる舌出し失神負けしたハルク・ホーガンとのIWGP優勝戦など、数え上げると切りがない。名勝負・伝説も多い猪木だが、こんな事件も残している。1973年に起きたタイガー・ジェット・シンによる「伊勢丹前襲撃事件」だ。シンはインド出身のプロレスラーで、サーベルを凶器にするヒールだ。そのシンが買い物途中の猪木と当時の妻で女優の倍賞美津子を伊勢丹前の路上で襲撃したのだ。後年、この襲撃事件についてシンは、「場所がどこであろうと猪木がいれば闘うのは当然だ」とコメントしているが、まさかリングや試合会場ではなく伊勢丹前でのファイトとはとプロレスファンのみならず日本中が震撼したものだった。アントニオ猪木はその後、伊勢丹のメンズ館正面に「アントニオ猪木酒場」を出店(2020年7月末閉店)するなど、なにかと伊勢丹とは縁があった。

自身のユーチューブチャンネルでは、最後まで戦う姿を見せていたアントニオ猪木。昭和を彩った大スターがまたひとり鬼籍に入ってしまった。数々の激闘で日本中を熱くさせたアントニオ猪木の冥福を祈りたい。

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