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マリー・クヮント死去で想起される「ミニ」発案者論争と現在のブランドの意外な所有者

Apr 14, 2023.三浦彰Tokyo,JP
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「マリー・クヮント」公式インスタグラムより

イギリスを代表する女性デザイナーのひとりだったマリー・クヮント(Mary Quant)が同国南東部サリーの自宅において4月13日に93歳で死去した。1930年生まれで1955年に夫のアレクサンダー・プランケット・グリーン(Alexander Plunket Greene)及び友人と3人でロンドンのキングス・ロードにブティック「バザー」をオープンしたのがキャリアのスタート。

クヮントの名を一躍有名にしたのは1958年頃に発表した「ミニスカート」だ。この「ミニ」は、丈の短いという意味ではなく、マリー・クヮントの愛車だったイギリスの国民車とでも言うべき「ローバー・ミニ」に由来しているという説がある。確かに本来なら「ショートスカート」と呼ばれそうなものではある。1950年代後半からいわゆるスウィンギング・ロンドンと呼ばれるカルチャームーブメントに乗って、このミニスカートは大人気になった。

その後巻き起こったのが「ミニスカートの発案者論争」だ。1947年の「ディオール(Dior)」の「ニュールック」に並ぶファッション史の「発明品」である「ミニスカート」の最初の発案者は誰か?

「ファッションの都」を自他ともに許すパリでは、フューチャールックを1965年ごろにオートクチュールで発表していたアンドレ・クレージュ(André Courrèges)が、ミニドレス、ミニスカートをその中心アイテムにしていたこともあって、クレージュをその発案者とする意見がある。

「クレージュのミニドレス発表後、ロンドンのジンジャー・グループ社がただちに丈の短いミニスカートを『マリー・クヮント(MARY QUANT)』のブランド名で大量に売り出した」という意見だが、時間的にこの説にはかなり無理がある。

「マリー・クヮント VS アンドレ・クレージュ」のミニスカート発案者論争のほかにも、もうひとつ説がある。1956年に公開されたフレッド・M・ウィルコックス(Fred McLeod Wilcox)監督の映画『禁断の惑星』で主役のアン・フランシス(Anne Francis)が着用していたミニドレスをデザインしていたヘレン・ローズ(Helen Rose)こそ最初の発案者だとする説だ。

さらにもうひとつの説もある。1950年代後半のチェルシーなどの地区を短い丈のスカートで闊歩していた「Dolly Girl」こそその発祥だという説だ。彼女たちは既製のスカートの丈を自分で短くして着用していたようだ。こうして見ると、どうもロンドンで巻き起こっていたこうしたショートスカートのムーブメントを集大成して大量販売したマリー・クヮントこそがミニスカート発案者というのが妥当な解釈のように思われる。なおマリー・クヮントは「ミニスカート」に続き「ホットパンツ」も発案している。

日本では、1967年に来日したイギリス人モデルのツイッギーがミニスカートの火付け役として日本で大ブームを巻き起こした。マリー・クヮントの初来日は1972年で、彼女は日本人の肌の美しさに感銘を受けたらしい。

かなり横道にそれたが、「マリー・クヮント」というブランドで注目されるのは、設立から68年経っていまだに生き続けていることだ。化粧品がメインの展開になっているが、日本の株式会社マリークヮントコスメチックスが全世界における販売権を保有して全世界展開している。

ブランドのこの生命力にはさまざまな理由が考えられるが、そのひとつとして「マリー・クヮント」が使っているロゴマークが挙げられる。「ブラックデイジー」と呼ばれるこのひなげしのロゴは、若い頃のマリー・クヮントがラフデザインする時にデイジーを描くと不思議とアイデアが浮かんだということから選ばれたのだという。「シャネル(CHANEL)」のカメリアを思わせるようなエピソードだが、ロゴが花である有名ブランドは意外に少ない。

ちなみにココ・シャネルは女性の膝は醜いものだと思っていたといい、膝を見せるデザインの商品は一度も作らなかったし、自身でも絶対にはかなかった。マリー・クワントは「シャネルは私を憎んでいる。私にはその理由が分かる」と語っていたという。

現在「マリー・クヮント」ブランドの全世界販売権を持っているのは日本のマリークヮントコスメチックスである。同社は「マリー・クヮント」ブランドの所有者であり、商標権も獲得している。1991年に英国のMARY QUANT LTD.の株式を取得して経営に参加し、1993年にはマリー・クヮント化粧品の全世界の権利を獲得したのだ。意外にもマリークヮント・ブランドの所有者は日本企業だったのである。

昨年12月29日には、「パンクファッションの女王」ことヴィヴィアン・ウエストウッド(Vivienne Westwood)が81歳で死去。続いて「ミニスカートの発案者」のマリー・クヮントが今回逝去。1960年代、1980年代のファッションの先導者がパリではなくロンドンだったということを改めて感じる。

こうしてパリを補完する役割をロンドンやミラノが果たして来たのがヨーロッパのファッションの歴史だったのである。いわゆるラグジュアリーブランドではない「マリークヮント」がこうして生き残っているのは稀有のケースだ。ブランド創業者亡きあとも末長い存続を期待したいものである。

 

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