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「ファッション業界の黒幕」と呼ばれた男、大出一博逝く

Aug 23, 2023.三浦彰Tokyo,jp
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大出一博氏(撮影:三浦彰)

8月11日、ファッションプロデューサーの大出一博(おおいでかずひろ、以下敬称略)が急性心不全のため亡くなった。81歳だった(既報)。本当に急だったらしい。大出は訃報でファッションプロデューサーの先駆けと紹介されているが、ファッションプロデューサーはファッションに関するさまざまな仕事を請け負うが、花形の仕事はファッションショーの演出だ。

1975年に高田賢三が日大講堂で行った日本への凱旋ショーの演出をしたのが大出一博である。これによってファッションショーの持つ醍醐味がファッション好きやファッション関係者の間でやっと理解されたと言われている。そのショーをプロデュースしたのだから、大出の評価は決定的なものになった。

その大出の評価をもう一段高みに引き上げたのが1995年3月のユベール・ド・ジバンシィ(Hubert de Givenchy)の引退ショーだ。「ジバンシィ」は日本でファッションショーを度々行っていたが、大出が演出を任されていた。それをたいへん気に入っていたジバンシィが1995年3月にパリで行った引退ショーのプロデューサーになんと大出一博を指名したのだ。これは大出のファッションプロデューサーとしての名声を神がかりなものにした。その後「シャネル(CHANEL)」をはじめとしたビッグブランドが日本でショーを行う時にはそのほとんどが大出をプロデューサーに指名した。

1985年にCFD(東京ファッションデザイナー協議会)が設立され、東京ファッションウィークが本格的にスタートすると、これはまさに大出の独壇場になった。CFDの太田伸之初代議長とタッグを組んで代々木テントでの開催を始めるなど東京ファッションウィークのプロデューサーとして縦横無尽に活躍した。1990年のバブル崩壊とともにいわゆる「DCブーム」を牽引した東京コレクションも下火になっていった。それに代わり円高を背景にしたインポートブランド・ブームが1980年代後半から始まっていたが、1990年に入ってラグジュアリーブランドをはじめとした海外ブランドの時代に入っても、国内のファッションショーの演出を独占した大出一博の権勢は衰えることはなかった。しかし2008年のリーマン・ショックあたりからどうも一時の元気はなくなっていったようだ。大出はSUNデザイン研究所の社長を手塚千賀子・現社長に譲り、自らは代表取締役会長に就任した。最近は、渋谷の本社を神奈川県葉山に移すなど、事業は縮小気味だった。

私はWWDジャパン(現WWDJAPAN)在籍時に、大出一博にインタビューして、その半生記を執筆したことがある。黒いシャツにサングラスという出立ちがトレードマークの大出はその筋の人間に思われることが多かった。空手有段者であり、大学のコンパで教師を殴ったことが教育者の父に知られ、勘当され大学を中退したという経歴もある。さらに日本刀のコレクションが趣味で、何かというと「この刀を前に誓え」とやっていたらしい。ファッション業界にいるのが不思議な人物であった。しかし栃木の実家では母がファッションの仕事をしていて、子供の頃からファッション画を描いたりしていた。大学を中退してからは、ファッションのデザイン画を教えて生計を立て、加えてスタイリスト養成学校も始め、ファッション業界に入った。

ファッションプロデューサーとして大成してからは、風貌がそうだからか「ファッション業界の黒幕」と呼ばれることもあった。ブランドと幅広いネットワークがあったし、生活文化としてファッションに注目していた新聞社にコネクションがあって、これを結びつける役割を果たしていたようだ。しかし、こういう役割を持った人物が日本のファッション業界には必要だったのではないだろうか。誤解を招きやすい人物だったが、「黒幕」と呼ぶにはなかなか「熱いもの」を持っていたように思う。名演出家なのに、自己「演出」は下手だったのかもしれない。

学生時代の失敗もあってか酒は一滴も飲まずに、パーティではウーロン茶を手に談論風発。趣味は写真撮影だが、職業柄被写体はヌードかと思えば、花の写真が得意だった。これをカレンダーにしてファッション業界に配っていたが、不評だった。

コロナ禍もあって最近は葉山に引き篭もっていたのか、姿を見かけなくなっていた。あの栃木弁で「おい、三浦、ちゃんとやってるのか?そうそうあんまりからかっちゃいけないな。ジャーナリストは怖いからな」と話す声が今でも忘れられない。合掌

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